運命の足音

運命の足音 (幻冬舎文庫)

運命の足音 (幻冬舎文庫)

BSハイビジョンで五木寛之氏が母の遺髪を灰にしてガンジス河に流すシーンを見た
引き揚げの際 非業の死を遂げられた五木氏の母のことは 報道などで耳にしていた
第二次世界大戦において 引揚げ経験をもつ人々 肉親を殺された文化人のなかにおいて
五木氏がナショナリズム 民族差別にはしることなく 寛容の精神を貫いているのは
徐々に目立ってきているように思う その心境をたずねてみようと この本を手に取った


七尾の教務所に勤めていたとき 著者が講演に来られた事がある
小説は読んだことがなかったが NHKでシリーズ化していた対談番組のファンで
お会いできることを楽しみにしていた しかし準備に不手際があり
事務員として応対するしかなかったのが とても残念だった
講演後 見送りに行ったスタッフに突然「カレーライスが食べたい」とおっしゃって
ふっと寄った食堂で あっという間に平らげられたそうだ


五木氏はどのようにして 憎しみの連鎖を断つことができたのか
悪を裁く道徳と 悪を許す宗教はまったく違うというような
この問題に直接答える以下のような文章もあるにはある。

 私がいま、やっとそのことを書けるようになったのは、私の心の変化ではない。「もう、書いていいのよ」という母親の声が、最近、どこからともなくきこえるようになってきたからである。
 その声は、私を許し、父親を許し、ソ連兵たちを許し、すべての人間の悪を悪のままに抱きとめようとする静かな声である。大悲、とはそのようなものを言うのかもしれない、とふと思う。

 私が学んだのは 「生」は「苦」である ということだ
「四苦」の「苦」の原語は「思うままにならないこと、思うにまかせぬこと」
自分がどういう境遇の下に生まれてくるのか どういう人生をおくるのか だれも選択できない
五木さんが生まれられた昭和7年(1932年)は昭和大恐慌が深刻化し
不況の下で 失業者 身売り 自殺者 欠食児童が続出していた
流行語は 「生まれてはみたけれども」
そして五木さんは朝鮮半島へ渡り 敗戦 母の死
地獄のような引き揚げを経験された


五木さんにとってまさしく「生」は「苦」であった
しかし 自らの生を 思うままにならない苦であると認めることが
そのまま 苦を苦として受けとめることであり
苦の生を生きる道を歩むことになったのだろう


この本を ただただ息をのんで読ませていただいたことだが
ある意味 私の真宗観を変えてくれた本の一冊となった