アイヌ民族に関する学習資料集 共なる世界を願って

発行 2008年9月30日 真宗大谷派(東本願寺)
編集 解放運動推進本部 アイヌ民族に関する学習資料集編集委員会

 昆布ロードを展開していた富山の「薬売り」たちは、北海道でアイヌの人々とどのように接触しているのか、調べることはできないかと購入した。実際、北海道開拓を描いた錦絵が、富山のご門徒さんの床の間に掛けてあるということがあった。たしかに歴史的に鹿児島同様に、昆布ロードを通した富山と北海道の結びつきは強いのだ。
 特に第二章「明治維新東本願寺」から学ぶことが多かった。幕末から明治維新直後までの大谷派の政治的動きが的確にまとめられている。富山藩「合寺令」についても、それなりに焦点が当てられている。

(略)そうした流れ(廃仏毀釈)の中で各地で廃合寺運動が起こり、諸藩・地域によっては極端な寺院削減策が打ち出され、真宗教団にも危機感か募った。一八六八年一一月、佐渡では五〇〇余カ寺を八〇カ寺に合寺させたり、富山藩では一八七〇(明治三)年閏一〇月、真宗一三三〇余カ寺を含む藩内総寺院数一六三〇余カ寺を一宗一寺に廃合させようとした。(略)
 富山藩の事例では、真宗寺院の要請を受けた政府は、藩にはたらきかけ極端な廃合寺政索を中止させることができたが、それは新政府にとっても政局安定化のためには仏教勢力の物心両面での協力が必要であったことを表している。政府に真宗大谷派の存在意義とその有用性をアピールするためにも、東本願寺にとってはこの廃仏毀釈も北海道開拓・開教に積極的に取り組んだ根拠の一つ出会ったといえよう。

 この変動期に教団はどう動いたのか、幕府、政府と接近を図り、上から目線の教化をしようとした記録は、資料集としてしっかりとまとめられている。しかし、アイヌの人々と取引をしていた真宗門徒一人一人がどう動いてかについては、この本では見えてこなかった。ただ、最後に「聞き取り」が収録されており、阿寒町住職 山名智月氏のインタビューから、民族を超えて交流していた真宗門徒の姿が、垣間見られたようなが気がした。
 鹿児島教区の隠れ念仏研究、そして私たちが版行した富山藩合寺令研究誌「振起」とあわせて、徐々に真宗の地方史、民衆史研究の成果が発表されつつある。これが大谷派教団に、新しい波を起こしつつあると思う。