宣教師ニコライとその時代

宣教師ニコライとその時代 (講談社現代新書)

宣教師ニコライとその時代 (講談社現代新書)

幕末の動乱期にニコライはやってきたのだが、なぜ日本であったのか、この辺りの記述が欲しかった。
当時、アジアには様々な国からの進出に伴い、多くの宣教師たちがやってきた。おそらくロシアにも思惑があったと思う。
ニコライは生涯、教会の基盤作りのための資金調達に苦しんだ。
それでも、莫大な懇志を集めたのは、本当に信仰を広めようという情熱だけだったのか、というのは不純な見方かな?


この本の著者はロシア文学者であり、ドストエフスキートルストイとニコライとの接点についても章を割いている。
その対比からくるのであろう、ニコライの信仰は「わかりやすい」とされる。

ニコライの信仰の核心は大変わかりやすい。日記にはキリスト再臨待望はほとんど現れない。待たれているのは安らかな「死後の生」である。キリストの父である創造主なる神がおられ、人は死ぬと、キリスト教徒で「痛悔(懺悔)」した人のたましいは、神のもとへ行き、そこで永生をたのしむことができる。そうでなければ、そのひとのたましいは、死後、冷たい「永遠の闇」へ落ちていく。ニコライはこのわかりやすいキリストの信仰を生きている。


文学者たちのように、神、天国の実在を疑い、分析し、現代的な解釈を与えるのではない。あるいは革命的に「その日」がやってくるというのでもない。ある意味ロシア的な純朴、純粋な信仰の持ち主、それがニコライということだ。それは浄土真宗における実体的死後往生と深く共通しているようにも思われる。

彼の信仰は、明治の荒波の中で浄土真宗が、理論武装としての近代教学を組み立てていったのとは逆の方向にあるとも言えよう。彼の尽力によって、どれだけロシア正教が日本に定着したかはよく知らないが、真宗の知識僧たちが見下し、見失ってきた場所をニコライは巡礼し、教田を見出していたとも言えるのではないか。

いまの世には学文して、ひとのそしりをやめ、ひとえに論義問答むねとせんとかまえられそうろうにや。学問せば、いよいよ如来の御本意をしり、悲願の広大のむねをも存知して、いやしからん身にて往生はいかが、なんどとあやぶまんひとにも、本願には善悪浄穢なきおもむきをも、とききかせられそうらわばこそ、学生のかいにてもそうらわめ。たまたま、なにごころもなく、本願に相応して念仏するひとをも、学文してこそなんどといいおどさるること、法の魔障なり。仏の怨敵なり。自ら他力の信心かくるのみならず、あやまって、他をまよわさんとす。つつしんでおそるべし、先師の御こころにそむくことを。かねてあわれむべし、弥陀の本願にあらざることをと云々

なんのための、だれのための仏教なのか、教学なのか。法然親鸞自身が見出された「大衆」を、近代、現代の教学者は「いいおどして」きたのではないか。反省が求められる。