斎藤貴男「安心のファシズム −支配されたがる人々ー」
2004年4月〜5月のイラク人質事件の頃、父はくも膜下の手術を受けていた。TVでしか事件を見ていなかったが、彼(女)らが無事救出された瞬間は、本当にうれしかった。彼(女)らに対してバッシングがあったことは知っていた。しかし、あの時は事件について知ろうという余裕がなかった。この本は、そのときの政府内部やネット上で起こっていた事態についてのレポートから始まる。この内容にはかなり驚いた。あまりに、ひどい。
いまごろになって2ちゃんねるを覗くようになり、「プロ市民」「ネット右翼」という言葉を知り、この事件のときに広まった用語であるということも、最近知った。なにかが、変わってしまった、変わった事が明らかになったのが、あの事件だったんだな。。。
この本、特に第5章「社会ダーウィニズムと服従の論理」を読んで、この時代社会についてボヤッとしていたことが、少し整理された。以下、自分なりにまとめておく。
武者小路(公秀)教授によれば、新自由主義と新保守主義がセットになって成立しているグローバリゼーションは、三段重ねの重箱のようなものだという。頂点に大企業と国家による大競争。真ん中が市民社会で、人権を守るNPOなどもこの階層に含まれるが、うまい汁を求めて国家や大企業の望む方向になびきがちである。
そして、底辺だ。あらかじめ切り捨てられているこの層には、リストラなどで中層から弾き飛ばされた人々もどんどん流入してくる。彼らは切り捨てられているのに、しかし労働力、消費者としては利用される。つまりは搾取されることになる。新たな下層身分、アンダークラスが形成されてきているのだ。
新自由主義経済と新保守主義の融合と、それがもたらす一億総中流社会の破壊、そして新たな身分社会の形成(経済が社会をつくるという考え方による分析)。
岡崎玲子「9・11ジェネレーション」にもあった、テロ対策の名目の下に導入されたゼロ・トレランス(「寛容ゼロ」情状酌量の余地も許さない)も、衛星国、日本にもたらされつつある。
グローバリゼーションの思想が行き渡り、正義とは金のことであり、アメリカこそが至高の価値であるとする考え方が浸透してしまった現代の日本では、(略)むしろ積極的に、アメリカ発の人種差別意識剥き出しの社会ダーウィニズムを丸ごと受容していくプロセスを歩んでいるように見える。