「風雪の紋 栗生楽泉園患者50年史」栗生楽泉園患者自治会 定価2500円 送料300円

ryuuusei12005-09-18

 「ハンセン病ふるさとネットワーク富山」主催「栗生楽泉園交流会」に14・15日と参加してきました。ネットワーク代表、富山国際大学助教授、藤野豊さんを含めて総勢16名。私にとっては4年前に邑久光明園と長島愛生園を訪れて以来の2度目の療養所訪問でした。
 前回の2箇所は離島として海に閉ざされていたのに対して、楽泉園は高原とはいえ柵も設けられなかったという特徴があります。これは湯之沢部落というハンセン病者のためのコロニーが、移転されるという形で療養所ができたという歴史的経緯があるためです。ここには「自由地区」と呼ばれた一戸建ての居住区も存在します。園内には草津温泉の源泉が引かれた混浴の浴場があり、私も温泉を楽しんできました。楽泉園に二日間滞在したのですが、地形的には隔離されていないということに、開放感のようなものを感じました。
 しかし、湯之沢部落から楽泉園への移動は、県当局の脅迫の元におこなわれました。そして強制労働と劣悪な食料事情、住環境(一戸建てにはかなり裕福でないと住めなかった)の下で昭和18年に94人、19年に97人、20年には入所者の1割を越えた138人の方々が亡くなっています。また、ここには昭和13年に患者刑務所「特別病室」(重監房)が設置されました。その跡地を見てきましたが、昭和22年に廃止されるまでに92名の患者が収容され、うち22名が凍死や衰弱、自殺で亡くなっています。
 こうした事が述べられている上記の本を園内で購入しました。この本は「大日本帝国の発展」という悪辣な歴史観が消してしまおうとしている、社会的少数者、弱者の悲しみと怒りが、資料と彼(女)らの肉声を元にして、叙述されています。一般書店には売り出されていないのですが、日本近代の性格を考える上で、はずしてはいけない本だと思いました。

 さて、14日の夜に園内で自治会会長の藤田三四郎さんと、副会長でありハンセン病違憲国賠訴訟原告団全国協議会長をされていた谺雄二さんといっしょに酒を酌み交わしました。バリバリの共産党員である谺さんと、じっくり二人でお話することができました。幼い頃、毎日のように「おまえらは日の丸のシミのようなものだ」という話を、大谷派の説教師から聞かされたそうです。皇室賛美、戦争協力など、権力に積極的にオモネル大谷派の体質、「業病」という言葉を発してきた仏教の責任について、謝罪したならば次はどうするのかという問いかけをいただきました。
谺雄二さんの講演
 はっきりいって、谺さんとの対話はかなりしんどかった。前から考え続けてきた問題とはいえ、元患者の方からリアルに問いかけられると、まったなしなんだなぁと。帰られたあと、ズンと、沈んでました。
 それにしても、今、振り返ってみると、藤田さんや谺さんらと、初対面であったのに、実に遠慮ない質問をし、話し合いができたものだと思います。ハンセン病問題になぜ、オレは関わろうとしているのかと、自問自答することが多いのですが、彼(女)らと、とにかく、関わってしまったからということ以外には、ないなと、実感したりしております。