歴史/修正主義

歴史/修正主義 (思考のフロンティア)

歴史/修正主義 (思考のフロンティア)

歴史修正主義者たちが、過去の戦争の罪を認めることに怯えるのは、後の世代の民族も国民も罪人であり続けることを認めたくないからである。そして、「戦争責任の相続の放棄は不可」とする家永三郎もまた、血統とでもいうような連続性に捉われていると批判。

彼らが知らないのは、自分が所属する国家がかつて犯した過ちを批判し、国家に「戦後責任」を取らせることによって自らの「戦後責任」を果たすことが、かつての国家の過ちと自分との連続性を断つゆえんだ、ということである。国家に「戦後責任」を取らせることは、侵略や戦争犯罪を行った国家にその過ちを認めさせることであり、かつての行為を是とする国家から非とする国家へと、国家そのものの性格を変えることである。

このレトリックには、驚いた。こうもズパッと切って考えちゃって、いいものだろうか?
あるいは、上野千鶴子従軍慰安婦問題について、加害者と被害者にはそれぞれの物語があり、どちらが正しいかにについて、強者と弱者という権力関係が介在していると捉えていると。この上野が、両者の物語を認めており、「相対主義的論理」の立場だと、高橋は批判。2000年に結審した「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」の取り組みを紹介する。では、高橋が、何が正義だと考えているのかについては、もう一つ読み取れなかった。伝わってくるものがなかった。
高橋は、とにかく、切りまくる。公正を期すというか、おしなべて論理的に考えるという事なのだろうが、哲学者ってのは、ここまで言わなくちゃいけないのかなと思った。が、そこまでさせている?ジャック・デリダについての本が読みたくなった。もちろん理解できずに木っ端微塵だろうけど。