オタクの遺伝子

オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界

オタクの遺伝子 長谷川裕一・SFまんがの世界

昔読んだ「ナウシカ解読―ユートピアの臨界」より読みやすかった。
主なテーマは二つ。一つがガンダムシリーズに延々と受け継がれてる、「ニュータイプはイタコじゃないのか」問題。確かに死者と力を合わせて戦うという描写がZZあたりで顕著になっている。せっかく人類の覚醒ニュータイプを掲げたのに、陳腐な霊媒師、祈祷師もどきにしてしまったのは製作者のイメージが貧困だから? それだけ日本人には霊信仰の呪縛がきついのかもしれん。「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」新作ガンダムでも、憎しみあって戦死したはずの敵味方がなごやかに戯れてるエンディングが流れて、違和感がある。死んだものに敵味方もないという、靖国とは違う、日本独特の慰霊のかたちなのかな。私は「赦し」ということを表現するなら、死者が蘇る表現もしかたないかな。例えば、何かを伝えたいと思っていた人が亡くなってしまって、その伝えられなかった辛さを解消するとか。「赦し」の手立てならありかなとも思う。
稲葉振一郎氏が、幽霊というのはやり残したことを果たすために未来に出現するのだから、タイムトラベルと一緒だと言っているのが面白かった。幽霊は、未来を変えてしまう、タイムパラドックスを犯す存在ということだw

この本がとりあげているもう一つの問題は「他者から自分の運命を強制されることへの拒絶」。コミック版「風の谷のナウシカ」や「装甲騎兵ボトムズ」、そして最近の「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」でも大きなテーマになっていた。アニメでは戦うべき理由として頻繁に使われる構図だ。このあたりは、こどもから大人になっていく過程で、親から自立していくという過程を投影しているんで、稲葉さん、そんなに難解に考えなくてもと思う。やっかみ半分。
この二つのテーマが前半後半と並べられてはいるが、けっきょく何が言いたかったのかよくわからんかった。まぁ、おなじオタク第一世代として、アニメ・コミックの歴史を振り返えれたのが楽しかった。