神の子たち

 一回目、見終わって、言い知れぬ無力感に襲われた。
 二回目は、四ノ宮浩監督のコメントを聞きながら見た。根深い貧困を目の前にして、監督も「自分にはなにもできない」と、なんどもなんどもおっしゃった。しかし、それでも、自分にできることはなにかを探し続ける姿勢に、こちらのテンションがあがった。監督が子供たちを慈しみ、悲しむ言葉から、歎異抄四章が響いてきた。
 他人を慈しみ悲しんだことのないものが、それを「聖道の慈悲」と貶めるなんて、おかしなことだと思う。人を救うことのできない自分に直面して、自らの慈悲を捨ててしまうのが念仏者なんだろうか? 違うような気がしてしょうがない。

「世界中の貧困と飢餓と戦争と日本人の生き方について」