ハンセン病重監房の記録

ハンセン病 重監房の記録 (集英社新書)

ハンセン病 重監房の記録 (集英社新書)

 医療倫理研究者ならではの視点に学ぶことが多かったが、栗生楽泉園にあった重監房の復元運動に関わっていらっしゃるのは「職業柄」という言葉では収まらないお気持ちがあるのだと思う。
 日本のハンセン病政策「強制隔離」「強制労働」「断種」「懲罰」という、患者を弾圧する権力が発生した根源を、著者は「パターナリズム」という概念で明らかにする。

 パターナリズムの「パター(pater)」は「父親」を意味する言葉であり、まさしく父親と子供のような関係が出来上がっていることをいう。つまり、当事者の間に力の不均衡があり、「強者」は「弱者」に対して「恩恵」を与えるように振舞うべきだという価値観のことである。
 医療では医師と患者のあいだに、典型的に力の不均衡が存在する。患者は病気を抱えて弱い立場に置かれ、医師にはその病気を治療するために医学知識と技術がある。パターナリズムは、最近では、インフォームド・コンセントの対極にあるものとして、もっぱら批判的にとらえられてきた。

医療、法曹、行政、ジャーナリズム、そして宗教が、ハンセン病問題を長年にわたって放置してきたのも、この救うものと救われるものとの二分化と、善意の底にある差別感情に起因する。
 また、日本が戦前、戦後と隔離政策を推し進めていた同時代、世界の国々はどのような施策を行っていたかを紹介されている。それらに基づき、重監房とは何かということを著者は以下のよう意味づけ、復元運動を読者に訴えかける。とても素晴らしい文章だ。長いが引用する。

 重監房を一つの極とする日本のハンセン病政策は、世界のハンセン病の歴史の上でも、また医学の歴史の上でも、これまでに十分に記述されていない新しい歴史的事実を提示する。それは、社会差別が根強い病気の対策として、病気ではなく患者を消し去る政策が、一つの近代国家のなかで実現したことであり、その手段として、医療に携わる人間が患者に懲罰を与え、死なせたという歴史的事実である。
 これは、世界の人々にとって、貴重な学習の機会となるはずのものだ。世界各地で19世紀から20世紀にかけて行われていたハンセン病政策は、程度の違いはあっても不当な人権抑圧を含んでいた。その背景には、この病気に対する不正確な知識と、感染症や、外貌に影響する病気に対する私たち人間の根源的差別意識があった。20世紀の日本でとられていたのは、それらの否定的な要素が、およそすべて複合したかのような最悪なものだった。
 その「負の遺産」を覆い隠してしまえば、それは日本にとって永久に恥ずべきものであり続ける。逆に、積極的に検証し、歴史的事実を提示し続けることで、私たちはそのような過去と決別し、まったく違った社会の仕組みを確立すると、堂々といえるのではないだろうか。

 この本でも取り上げられているが、私は20年前、卒業旅行にアウシュビッツを訪れた。殺された人たちが遺した義足の山、殺された子供たちのおびただしい写真、人の脂でつくられた石鹸を見てきた。漠然と、人間はなんでもやるんだと思った。今になって、思い出した。