趣味は読書。

趣味は読書。

趣味は読書。

 斎藤美奈子の著書を集中的に読んできた。少々極端ではあるが斎藤の感性を信じてみたいな、という気持ちがあるのだ。それは、紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)のスタンスにとても共感したから。
 紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)はアニメ評論だけでなく、「伝記」というジャンルで作られた偉人伝に、恣意的な操作が加わっていることの検証もしている。それは、ヒロインたちの実像を調べ上げるという方法による。「白衣の天使」ナイチンゲールは「すご腕の実務派ばばあ」、「科学の聖女」キュリー夫人は「田舎出のガリ勉娘」、「奇蹟の人」ヘレン・ケラーは「戦略的なエンターテイナー」。どの人も奇麗事では済まされない、一筋縄ではいかない生涯をおくっている。それは世間が「善」としてもてはやす側面と、「悪」として隠そうとする側面の両方を、人間、あわせもってるということを明らかにする。だから、斎藤のスタンスは、フェミニストとしての理想的な女性像を示すというのではなく、人間そのものをみようじゃないかという感じだと思う。その辺りが気に入っているわけだ。
 「趣味は読書」は、ベストセラーについての書評。この中で、読んだことがあるのはハリポタだけ(汗
 以下に、気になったというか、気に入ったところをメモしときます。

何がありがたいって、まず今風の科学ネタが山盛りであるのがありがたい。それから、人名の出し方が丁寧なのがありがたい。だいたいわれわれ凡人は、科学と人名に対するコンプレックス強い。それが「自分にもわかる形」で提示されれば、それだけだって合掌ものだ。各宗教の坊さん関係者はこっそり虎の巻にすべきだと思うな、これ。「大河の一滴

いまさら新しいことなんか・・・という気持ちもわからないではない。しかし、こうまで現状補完方の自己正当化が流行すると、救われないのは<頭はからっぽのまま>と決めつけられた俗人のほうだ。人生八〇年時代、今般、新しい課題と格闘している高齢者だって、いくらでもいるのである。そういう人たちの前向きな意欲まで切り捨てるかな。「倚りかからず」

三三人のキリスト教徒と一九人のイスラム教徒なら話しあいも可能だろうが、実際にはそういう人が億単位でいるから争いになる。世界の把握に必要なのはパーセンテージではなく、むしろ実数なのである。数字の力でノンフィクションに見える危うさは疑似科学にも似た手法だ。(略)自己肯定にみちた終盤にいたっては、もはやなにをかいわんやが。なーにが<この村を救えます。きっと>だ。救われるのは自分だけじゃねえの? アメリカ中心の一元化をグローバリズムと勘違いする頭の平和な方々が好みそうな内容だわ。(略)単純化されたメッセージから受け取れるのは、単純な感想だけだ。これがテロ後の米国から発信され、ネット上を巡り巡って、日本で本になって感動を呼ぶ。いまの地球の姿が暗示されているようである。やれやれ。「世界がもし100人の村だったら」