神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

 なにげに著者は富山県出身で、父と同年齢だったりします。
 明治維新は、中流知識人による革命、封建的なものを一新したブルジョア革命みたいに考えられているのでしょう。そして、同時に古代天皇制への回帰という幻想もあわせ持っていたりしました。この両方の性格から廃仏毀釈ははじまったと考えられるのですが、さらに「国家の掌握のそとに逸脱し去ろうとしている人心(宗教性)を再掌握しようとする壮大な戦略の展開」となって、この後は全体主義イデオロギーとしては天皇ファシズムへと進んでいきます。
 それにしても、弾圧は修験道や富士山信仰など日本にあった広範な信仰に対して行われたということもありますが、真宗門徒がそれぞれの手段で、一番抵抗をしていたことを改めて学びました。そして帝国憲法下における、制限つきではあるが「信教の自由」を得たことは先人の功績だと。しかし、実質的に自由にはならなかった。

 帝国憲法第二十八条の「信教の自由」の規定は、「日本臣民は、安寧秩序を妨げず、及び臣民たるの義務に背かざる限りに於いて、信教の自由を有す」となっている。この規定の特徴は、その前後の自由権の規定が「法律の範囲内に於いて」とか「法律の定めたる場合を除く外」と、成文法との関係で規定されているのに、この条文だけは「安寧秩序を妨げず、及び臣民たるの義務に背かざる限」という漠然とした制限つきになっていることにある。この曖昧な制限規定は、実際問題としては、一般的な規範や習俗への同調化をそれみずからで強要したり、そうした強要を容認したりする事を容易にした。(略)こうした漠然とした制限規定のもとでは、「信教の自由」は国家が要求する秩序原理へすすんで同調することと同義にさえなりかねなかった。そして、神社崇拝は、その基盤で民衆の日常的宗教的行為とつらなることで現実に機能しているのだから、法的には神社崇拝と宗教とはべつだと強弁されても、「秩序安寧」や「臣民たるの義務」に背くまいとすれば、神社神道の受容とそれへの同調化が、それぞれの宗派教団にほとんど極限的なきびしさで求められてしまうことにさえなったのである。

 うーむ、先人たちが命を賭して守ろうとした「信教の自由」、現憲法が権力から守ってくれている「信教の自由」を、私たちは、どのくらい大切にできているだろう。制限もついてないのに、自ら制限つきにしてふるまわないと安心できないなんてなぁ。「安心のファシズム。支配されたがる人々」なんて本の題名が、浮かんできたよ。