方法序説
- 作者: デカルト,Ren´e Descartes,野田又夫,水野和久,井上庄七,神野慧一郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/08/10
- メディア: 新書
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確実な出発点(第一原理)を探すために、デカルトはあらゆる認識が偽であると疑ってかかる。
「私がこのように、すべては偽である、と考えているという間も、そう考えている私は、必然的に何ものかでなければならぬ。」
だから、Je panse,donc jesuis.「私は考える、ゆえに私はある」
引き続き行われている神の存在証明も、似たような感じだ。
それにつづいて私は、私が疑っているということ、したがってわたしの存在はあらゆる点で完全なのではないということ[というのは、疑うよりも認識することのほうが、より大なる完全性であることを、私は明晰に見るから]を反省し、私は私自身より完全な何ものかを考えることをいったいどこから学んだのであるか、を探求することに向かった。そして私は、それが、現実に私より完全であるところのなんらかの存在者から、でなければならぬということを明証的に知った。
(機の深信、我は罪悪深重の凡夫なり→法の深信、我を救う弥陀は存在する。骨組みは一緒?)
私は常に偽であり、不完全という認識だけは、確かに真。だからその認識は存在しちゃっている、ということだよな。
とにかく、人は必ず間違いを犯すもの、不完全なるものであるという前提から、デカルトの世界観は出発しているということを、いまさら、発見してしまいました!!