水平記 松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年

水平記 松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年

水平記 松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年

 水平社を彩る天皇崇拝者、共産党員、アナーキスト国家社会主義者たち有象無象の人物の中で、思想・主義に捉われることなく、真に差別と戦い、解放の精神を貫いて生きた人物として松本冶一郎の一生を綴った大作。
 綿密な史料収集によって、過去の人物をドラマチックに描く手法は、司馬遼太郎歴史小説を思わせる。


 私は20代の頃、西光万吉について集中的に調べたことがあった。水平社宣言の起草者でありながら、転向し天皇崇拝者となる思想遍歴が理解できなかったのである。あの頃は若さゆえ人を多面的に捉えることができなかったということもあるが、当時の研究のほとんどは転向後の西光に向き合おうとしていなかった。
 関東大震災の頃に水平社の活動家たちが混乱に乗じて天皇を担ぎ出して革命を起こそうとした「錦旗革命」について、筆者は以下のように述べている。

 多くの研究者が追究しなかったのは、ひとつには証言者の不在という事情もあろう。しかし、それより大きかったのは、マルクス主義史観(階級史観)の呪縛から、なかなか逃れられなかったなのではないか。されに踏み込んで言えば、水平運動は創立当初から一貫して反体制運動であり、反天皇制の立場をつらぬいてきたという、それこそ組織ぐるみでつくりあげてきた神話に縛られてきたからではないか。
 ここまで私は、たびたび天皇と部落の関係について書いてきた。天皇を担ごうとしたからといって、水平運動の歴史に汚点をなすものとは、少しも考えない。社会主義共産主義の洗礼を受けた水平社の人々はそれを汚点として見たのであろう。

 この問題は、水平社創設者における天皇に対する熱情についても関わる事柄だ。
 この本では、骨太の松本冶一郎とは対照的に右や左に劇的に振れてしまうロマン主義者として、主流派から外れて水平社を解消しようと暗躍する人物として、西光万吉は描かれていて、あらためて、二人を比べるとそういうことになるよなぁと思いながら読んでいた。西光は「水平社宣言」を書いたのに、解放の主体者として戦うことができなかったのか。自らを誇ることができなかったのかなぁ。
 しかしながら、それでも、西光のことが気になってしょうがない。西光が唱えた「高次的タカマノハラ」をめくっていると、なんとなく「浄土」という言葉が浮かんでくる。
 その意味では、敗戦直後にピストル自殺を図った西光の晩年について、この本が触れなかったのは寂しかった。
 まぁ、松本冶一郎の評伝なんだから、そんなこと言ってもしょうがないんですけど。