機動戦士ガンダム

機動戦士ガンダムDVD-BOX 2

機動戦士ガンダムDVD-BOX 2

 レンタルで、全巻、ついに、見終わりました。一月半はかかりました。

 まず、主人公、アムロ・レイは、実に不思議なキャラクターですね。冷静沈着であったり激情で行動したり。思いやりがあるようで、他人には無関心だったり。身勝手であるようで、全体を見通しているよう。図太いようで、繊細。勇敢で、臆病。純情で、計算高い。。。。
 混沌というか、矛盾というか、形容しがたいキャラクター。
 人間の思春期の状態そのものとも言えるし、善と悪の両方を抱えている人間存在そのものとも言えますけれど。
 そして、こんな混沌とした人物が戦争の中で生き延びられるはずがないのに、すさまじい強さをはっきする理由を、作品は単純に「ニュータイプだから」という言葉で説明します。が、ララァの台詞が気になります。

「なぜ、あなたはこうも戦えるの?
 あなたには、守るべき人も守るべきものもないというのに。
 私には見える。あなたの中には家族も、ふるさともないというのに」

 守るべきものを持たなかったがゆえに、アムロは抜きん出て強かったのかなと思います。「無我」の具人化といいますか。対照的にララァはシャアを守るために死んでしまいました。ホワイトベースの仲間についても、アムロはほんとうに守ろうとしていたわけでもない気がしてます。その意味では、ニヒリズムの極地といいますか、おそろしい人物とも言えますね。

 もう一つ、感じたのは、「厭戦」ということです。
 フラウ・ボウの家族の爆死から始まって、コロニー落としで消滅した夫の故郷に泣く女性、脱走してモビルスーツを捨てる兵士、兵士となったアムロを嘆く母、爆風で事故死するミハル、戦場で見える兄妹シャアとセイラ、シャアのためにアムロの犠牲となるララァ、、、様々なストーリーに戦争の不条理さ、残酷さを感じました。
 金城哲夫の書いたウルトラマンシリーズがそうであったように、このころの特撮・アニメには、反戦厭戦の主張が込められていた作品がたくさんありました。その気風がファーストガンダムにも感じられるのです。1979年に放映されたことを思いますと、70年代の残り香がとても懐かしい。この後、現在もガンダムシリーズは作り続けられていますが、この気風は少しずつ、薄まってきています。

 主要な声優さんが何人か亡くなられているほどの、過去の作品です。曖昧な記憶しかありませんでした。じっくりと見直すことができて、幸せでした。ほんとうに、すばらしいアニメでした。