古代仏教をよみなおす 3
- 作者: 吉田一彦
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- 発売日: 2006/08/01
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それが、↓を半分くらいまで読んで、「古代仏教をよみなおす」の女性史が、「戦争とジェンダー」に取り上げられているジェンダー史観(?)と似ていることに、いまさらながら気がついた。
戦争とジェンダー―戦争を起こす男性同盟と平和を創るジェンダー理論 (Somo‐somo sosyo)
- 作者: 若桑みどり
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あるいは、
でここは面白いのですが、この後の「女人禁制をどう理解するか」についての論証は、内容に一貫性がないような気がするので省略。
と書いたが、吉田氏の女人禁制理解は以下のようなものである。
山岳仏教では、山自体が聖なるエネルギーに満ちた場であって、山で修行することによって聖なる力が蓄えられると考えました。持戒は、力を蓄積する上で最も重要な要素となります。男性の僧が修行する、そうした山に女性が立ち入ることは、山の持つ聖なる力を侵害し、僧たちが持戒によって蓄えた力を無力にしてしまう行為になると考えて結界が行われたのではないか、と私は理解しています。
女性が政治から除外されていった過程については実証的であるのに、女人禁制については「聖なる力」といったスピリチュアルな面からの理解であると思い、「一貫性がない」と私は書いた。
しかし、この男性の聖なる力に似通った概念が、やはり「戦争とジェンダー」に取り上げられている。例えば、アメリカのフェミニスト文学理論家イヴ・セジウィックの「ホモソーシャル連続体」である。
セジウィックは、大規模な社会構造は、男ー男ー女の性愛の三角形の構造と同じだといった。つまり、男性支配社会(家父長制社会)では、「男性のホモソーシャルな欲望」が、家父長制の力を維持・譲渡するための構造を支えているのだということである。社会の権益は、男から男へラクビーボールのように女性をよけて譲渡されるのである。
ジェンダー理論を透してみると、吉田氏の古代女性史を通底するものが見えてくるような気がする。
私自身は歴史が専攻ではないので、史料を直接当たるなどして、皇国史観、マルクス史観、真宗史観、新自由主義史観、ジェンダー史観のどれが正しいのかを論証する事はできない。
しかし、結局のところ、「私は歴史をこう読みたい」で選択するしかないのかなぁと、改めて考えてみたりしている。