魔法少女隊アルス

魔法少女隊アルス VOL.1 [DVD]

魔法少女隊アルス VOL.1 [DVD]

 「ダ・ヴィンチ・コード」には中世の魔女狩りを、「力」をもつ女性に対する男性優位教会による弾圧として捉えるような視点があった。このアニメにおいても、女性が魔法による力を持つ「魔女界」と対立するものとして、男性が科学によって力を持つ「魔族界」というのが設定されている。魔女界は女性のみしか存在しない世界なのに対して、魔族界は人間の世界とほぼ同じような家族構成になっている。
 魔法少女というジャンルはアニメにおいて綿々と作り続けられていて、比較するといろいろ面白いものが見えてくる。たとえば「美少女戦士セーラームーン」や「カードキャプターさくら」においては、ヒロインが力をもつとしても、彼女らをサポートし、付き添う男性が存在する(地場衛李小狼)。しかし、「アルス」にはそうした男性は、明確には、でてこない(レノン?)。
 セラムンと「さくら」は両方とも原作者が女性である。だから女性優位な世界が具体的に描けたのだと思う。(「さくら」には男性が料理をするシーンが頻繁に出てくる。)アルスのスタッフは原作の雨宮慶太をはじめ、男性が中心。女性優位な世界に存在する男性は、イメージしにくかったのかもしれない。
 それにしても、魔法少女隊を結成する3人の女子キャラは、私がアニメにはまってしまうきっかけとなったセラムン三作目「美少女戦士セーラームーンS」に登場したキャラたちと重なって見えてしょうがない。女性だけの魔女界の伝統を重視し犠牲を厭わない原理主義的な考えを持つシーラ=天王はるか、自由奔放で楽観的、そして他者を傷つけるために魔法を使うことを嫌うアルス=月野うさぎ、人の幼さや弱さを体現している土萌ほたる=エバ。この三極が様々に絡み合うことによって重厚なドラマを展開していくわけだ。
 「セラムンS」との類似点は、世界の崩壊と、それを解決するメシア探しという終盤の流れでも見てとれる。しかし、「セラムンS」のメシアは赤ん坊を抱いた聖母の姿をとったのに対して、「アルス」のメシアは少女がそのまま光り輝く姿として登場したことが印象に残った。考えすぎかもしれないが、「母性」という言葉の内容が批判されるなかで、絶望を救うものは、性を超えた「希望」なのであると、改めて考えられるようになったのではないかと思った。(補足:「さくら」でヒロインの師クロウ・リードは男性であり、アルスに魔法の使い方を教えたのも父であったという設定になっている。男性優位指向を示していると言えなくもないが、性差を超えるという表現に見てとれる。)
 もう一点、アルスが体現した「希望」と背中合わせのようにして、同じように絶望の底で「希望」を求めたエバが醜悪な姿に落ちてしまうというストーリーに示唆を受けた。二人の「希望」のどこが違ったのか。いろいろ考えたのだが、エバの希望は他者から与えられたものだった。しかもその他者は彼女を支配操作することを意図するものであった。本当の希望というのは、与えられるものではなく、自らの責任の下に求めるもの、ということかな。
 アメコミを思わせるようなキャラクターデザイン(初めてフィギュアが欲しくなった)、美しく濃厚な背景、内容も深く、音楽も実に綺麗。終盤、流れが飛んでしまうところはあったけれども、語り尽くせない、本当に素晴らしい作品に出合うことができた。