オウム事件はなぜ起きたか 魂の虜囚〈上巻〉

 江川さんの著書を初めて読んだ。てっきりオウムを糾弾するのみのスタンスの方と思っていたのだが、違った。裁判を通して検察、司法、弁護士、警察、地方自治体、政府、マスコミなどの問題点を公正に探求しようとされている。被害者やその家族たちの心を通して、オウム事件に関わるすべての権力を見つめるジャーナリストでありました。

オウムという社会を守るために、価値観を異にする一般社会に反撃しようとした被告人の心情は、戦場における兵士が、戦争という大義名分の下に、作戦の一部しか知らされないまま、善し悪し判断をせずに使命に従い、任務を果たすことだけに意識を集中することと、変わるところはない。

同じ価値観を持つ社会の中では、人を殺してはならないという道徳律は抑止力を持つが、異なる社会観や道徳律を超える価値観の下では無力になることが多い。今なお各地で戦争や内乱が起きているのも、こうした人間の弱さとも言うべき特性による。麻原はまさに人間の弱さにつけ込み、信者を無差別殺人に駆り立てた。オウム犯罪を単に倫理的道徳的観点からだけとらえるのではなく、人間の根元的な弱さを見つめたうえで、本件から重要な教訓を学び取っていくべきだ。

 この本に引用されている、地下鉄サリン事件実行犯、林郁夫の最終弁論の一部である。

 坂本堤弁護士一家殺害事件から18年、地下鉄サリン事件から12年の歳月が過ぎている。
 しかし、彼(女)ら断罪して、それで事件は終わったのか?

 私たちの目は、事件やそれを引き起こした集団の特異性に向けられがちだ。そんな異様な集団の問題は、自分とは無縁と考えることで、安心したい気持ちもないではない。しかし、極めて「まとも」に見える法廷での林を見ていると、そんな楽観論には何の根拠もないことに、否応なく気づかされる。

 いま、いじめによる自殺や、家族間の殺人事件に眉をひそめ、犯人を理解不能と嘆くことはたやすい。しかし、第二次世界大戦での虐殺行為やオウム事件を通してみると、そこから浮かび上がってくるのは、権威に弱く、暴力、激情を抱え、カリスマ、神秘、風評に容易に踊らされる、人間のもろさである。
 あの事件を忘れてはならない、「人間の根元的弱さ」を忘れてはならない、と思った。