オウム事件はなぜ起きたか 魂の虜囚〈下巻〉

 江川さん、三冊目。
 上巻を読んで、オウム信者たちの犯罪は特異ではなく、人という者の弱さを示していると書いた。
 それは、激しい慙愧を語る林郁夫と、高校時代からオウム教団に取り込まれてしまった井上嘉浩の裁判記録で上巻が終わっていたからであった(この二人は死刑ではなく、無期懲役の判決を受けた)。
 下巻にある他の被告たちの言動を読むと怒りがこみ上げてくる。仏弟子を騙って人を殺し、裁判では自己保身を露にしているばかりの彼(女)らがもう、許せなくなってくる。
 さすがの江川さんもこんなことを書いている。

 いろんな立場を考えているうちに、自分の身をどこに置いて物事を見るべきなのか、分からなくなってしまうことがある。

 それでも、彼女は理性的であり続ける。

 私は、これまでも述べてきたように、(オウム信者の)子どもたちは就学させるべき、という立場できた。
 そういう考えの者として、都幾川村龍ヶ崎市の人たちの活動に、ほんの少し、人と人との橋渡し程度だが、関わることができた。
 そうはいっても、篠原さんと同じように理性と感情の間で揺れることもあった。
 麻原の子どもたちは今生きて、将来のために学校に行きたい、と言っている。一方の坂本さんの子ども龍彦ちゃんは、わずか一歳二ヶ月で無慚にも殺され、山奥に一人埋められていた。
 親と子は別、と分かっていても、やはり割り切れなさは残った。
 ただ、坂本さん夫婦の最後の年賀状のことを思い出すと、そのたびに私は背中を押されるような気持ちになった。
 坂本さんたちは、一九八九年の年賀状で、子どもたちが生きやすい社会をつくっていきたい、という趣旨のことを書いていた。
 このカップルは、すべての子どもたちが生きやすい社会、を考えていた。
 そういう坂本夫妻の遺志を考えれば、この問題への態度は一つしかない、と私は思った。

 恩讐を越えるということを考えさせられたことであった。
 一読しただけではあかんです。この本は。