X-MEN:ファイナルディシジョン

 (アメリカ)社会がマイノリティを受け入れていく過程みたいなものが、表されていると思いました。
 まず、マイノリティは社会への適用を促されます。
 それは差別と偏見に基づいています。
 差異を「治すべきもの・直すべきもの」として捉えられているからです。
 マイノリティはアイデンティティを否定され、傷つきます。
 アイデンティティを強固に主張し逆にマジョリティを否定しようとする強硬派と、マジョリティとの共存を望む穏健派に、マイノリティは分裂。
 穏健派は強硬派を押さえ込み、その功績によりマジョリティのなかに受け入れられていきます。
 まさに、青いビースト、「泣いた青鬼」ですな。
 女性も黒人も日本人も、大きな枠で言えば、みんなこういう図式で、(アメリカという)国に認めてもらってきたわけですな。
 アメリカによるイラク政策も、こんな感じですわね。

 あと、アメコミのヒーローたちはなぜに内向的なのか疑問に思っていました。
 というか、スーパーマンスパイダーマンも、優れた力を前面に出さずに、正体を隠すことに悩み続けてばかりいます。
 まぁ、あのままでは一般社会では生活しづらいということがありますわね。
 その点、「変身」という概念を一般化してしまった、日本のヒーローたちはめちゃめちゃ楽です。これは余談。
 この映画を見て、彼(女)らは自分の持っている力をコントロールすることに悩んでいるんだと思いました。
 「あなたはあなたのままでよい」とは言われますが、本能や欲望のままで振舞っていいわけはない。
 「自律」ということが大切なのだというのがこの映画の主張なのだと思いました。

 アメリカンヒーローたちが自分の力に悩むことは、ある意味、正常なのでしょう。
 核をもっている国が己の力に悩まなくなったら、人類の滅亡の時がやってくることでしょう。
 日本にも核が欲しい人がいますけど、こんな問題は考えたことがないんでしょうね。