忘れられた地域史を歩く―近現代日本における差別の諸相

忘れられた地域史を歩く―近現代日本における差別の諸相

忘れられた地域史を歩く―近現代日本における差別の諸相

 もう、20年前になるか、西光万吉に関するレポートを書いたときのことである。
 融和運動が掲げる慈愛精神に潜んでいる蔑みの視点を西光は見抜き、「人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動」を呼びかける水平者宣言を起草した。しかし、それでも西光が、生涯、強烈に天皇への崇拝を掲げていたのはなぜか、判然としなかった。
 答えを探してさまざまな本に当たったが、当時はこの問題を取り上げるものはなかなか見つからなかった。そこで出会ったのが藤野さんの著書、水平運動の社会思想史的研究であった。水平社運動における天皇制思想、ファシズムの影響が、章を立てて論じられていたことに、鮮烈な印象を持った。
 そして、5年前になるか、長島愛生園でご本人と出遇うことができたこと、富山国際大学に勤務していらっしゃることを知ったときは、本当に驚いたことであった。
 この新刊は、先生の歴史学者としての歩みを振り返る内容となっている。マルクス主義歴史学が「抵抗する組織された人民」だけを評価し力なく戦争に協力するしかなかった人々を切り捨ててきたことを批判つつ、その上で、「暴力機構としての国家の本質の歴史的解明」を目指す。研究のテーマは、部落差別問題からハンセン病問題へ、そして地方のさまざまな差別事象へと波及していった。それは「差別の連鎖」という言葉で表現されている。

 そして、ハンセン病問題の研究を進めるなかで、アメリカ統治下の奄美・沖縄の人々の苦悩の一端を学び、戦後の隔離教化の背景に韓国・朝鮮人差別があることを知った。民族差別という観点から戦時下の華僑が置かれた状況にも心が動かされた。さらに、ミクロネシアハンセン病政策について調べているが、そこには「文明国」であることを過剰に意識した近代日本が現地「島民」に懐いた人種差別意識があらわである。その結末がパラオの虐殺である。そして、いま、わたくし自身が過去の問題だと思い込んでいたイタイイタイ病とも直面している。「イタイイタイ病は終わっていない」という松波淳一の叫びを聞いたとき、かつて、ハンセン病問題に初めて出会ったときと同じ衝撃を受けた。

 藤野さんと同時代に生き、さらに同じ富山に住んでいることが、とても不思議だ。
 彼の見ている方向を、これからも、ずっと追っていきたいと思った。