BLACK LAGOON The Second Barrage 004/005

 日本編。アニメ化されると新しい角度から作品が読める。
 この回の主要キャラ、雪緒をめぐる言葉として、サルトル「人はダイスと同じで、自らを人生へと投げ込む」が引かれる。雪緒の愛読書はハイデッガーであるという設定だが、ハイデッガーの「投企」という概念を、実践という観点から表現したともいえる言葉である。「セーラー服と機関銃」よろしく、女子高生にしてヤクザの組長に就く雪緒が、悲壮な決意の根拠として示すという設定。あるいは、拉致され、地獄のような体験を耐え忍んでさらに、この言葉を受け入れた、ともいえるような描き方がされている。 
 サルトルは反ファシズムの哲学として、学生運動の担い手たちにも大きな影響をあたえた。いかに過酷な運命でも、自分自身の選択であるとして境遇を背負い、受け入れていくことを促していったわけだ。
 しかし、それは自らの愚かさ、不完全性を拒否し、状況を鑑みることなく行動させる原理ともなっていった。雪緒にしても、このあと事態が好転し、状況から逃走し、違う生き方が可能になるのに、自死を選ぶ。それは日本的な「義理を立てる」「筋を通す」という事柄と重ねて語られていく。まぁ、銀次との心中と読めなくもないが・・・
 雪緒のような生き方、死に方は、今、どのように読まれるのだろう。
 私は、愚か、だと思うんだが。