木田元先生

ハイデガーの思想 (岩波新書)

ハイデガーの思想 (岩波新書)

若き哲学徒であった私は、ハイデガーとか現象学とかに憧れたが、勉強が嫌いでさっぱりついていけなかった。
それで木田さんの解説書に大変お世話になった。とはいえ木田さんの本も十分、難解だった。
それでも木田さんのおかげで、ちょっとは哲学に触れることは、できたのかもしれない。
「爆笑問題のニッポンの教養」木田先生の回、なかなかおもしろかった。
哲学が自然を超越するイデアという概念を仮設したこと、それはそのまま技術が自然を加工すべき材料として扱った営みと重なり合う。
火を使うことによって人間がサルから進化したということは、人間が技術を生み出したのではなく、技術が人間を生み出したということ。
つまり人間は技術を使っているのではなく、技術に使われているということだ。
だから人間は技術の暴走を止めることはできないのではないかと木田さんは絶望的に語る。
ハイデガーニーチェが「哲学の解体」ということを目指したのは、そういう危機感の現れではないか、ということだ。
木田さん自身が哲学を学んだきっかけは、広島の原爆キノコ雲を目撃し、その絶望、恐怖から逃れる道を探したからだという。
もろに技術文明の暴走を目の当たりにした経験は、技術と人間の未来に対して、木田さんをずーっと悲観的にし続けているんだと思う。
ということで、われわれに課せられた問題は、木田さんの絶望をいかにしたら超えられるかということだ。
人間を操る技術文明という権化を、どうしたら跪かせることができるか。手綱をつけることができるか。
模索しよう。