ドキュメント 屠場

ドキュメント 屠場 (岩波新書)

ドキュメント 屠場 (岩波新書)

先日「おくりびと」を観た 葬祭業に携わる人々への職業差別が
大きなテーマのひとつとして取り上げられていた
ふと 以前読んだ この本の一節を思い出した

 横浜屠場労組では『殺生戒』や『穢れ観』をもっての「生き物を殺すことはひどいこと」との価値観こそが、誤っていること、それこそが、私たちへの差別に連なるものであることを明らかにし、戦い抜いています。

 そもそも、「生き物を殺してはいけない」などとの価値観は成立するのでしょうか。すべての動物は、人間もふくめ、他の生き物を殺して食べたり、寄生したりして、利用して生きているのであり、それはきわめて、自然の営みなのです。

 しかし、はじめのころ、わたしたちは、「屠場をみたこともない人でも、差別的なイメージを持つ」根拠として、生き物を殺すことを忌み嫌う『殺生戒』や『穢れ観』に影響された価値観が、人々の中に、あるいは自分たちの中に、根深く植え付けられている事実まではみえていなかったのです。(略)

 たしかに、屠場では「さまざまな物を生みだすところ」という意味で、「捨てるもののない活かす文化」を部落大衆や在日から引き継いだ素晴らしさがあると思います。しかし、それを「殺していることを否定する」ために持ち出したり、相変わらす「生き物を殺すことはひどいこと」との意識の上で主張していたのでは、私たちへの差別も、畜犬センターにはたらく仲間や三味線に貼る皮をつくる仲間への差別もなくなるはずがないのです。

仏教は 差別を肯定することを説く教えではない
人や社会にある差別概念を対象化し 整理して 越えて行く道を目指すものである
しかし 六道輪廻 善悪淨穢 因果応報 五障三従といった 超えられるべき概念が
差別心 あるいは差別する社会を固定助長するものとして働いてきた いることは
すでに さまざまな方面から指摘されている通りである
そして 仏教徒自身が これらの概念に取り込まれてしまったり
「心の問題」「信仰上の問題」として
政治との関わりの中で社会問題との関連を断とうとしてきた歴史経緯を考えると
釈尊親鸞が 何を見て 何を説こうとしてのか
その説き方は 現代に生きる我々として 受け入れるべきか 受け入れるべきでないか
検討してしかるべきだと 一人の僧侶として 思う