深い河 その1

深い河 (講談社文庫)

深い河 (講談社文庫)

遠藤周作というと「沈黙」を受験勉強で読んだ記憶がある 1966年の作品
宣教師が真宗僧侶によって踏み絵する「ころばされる」という内容だった
「沈黙」という題名は 丸山真男が「古層」と呼んだ
神道や仏教など様々な文化思想を すべて一緒くたに取り込んでしまうような深い闇を表し
そこに 西洋のキリスト者もまた飲み込まれていったという話だったと思う


「深い河」は1994年 亡くなられる2年前の作品
インドのあらゆる人々と共にあり すべてを受け入れていくガンジス河に
一つの信仰をみいだしていくわけだが 遠藤氏の宗教観も変化したということだろうか


ガンジスの精神はヒンズーの女神 チャームンダーへの信仰としても表現されている

彼女の乳房はもう老婆のように萎びています。でもその萎びた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン氏病のため、ただれているのがわかりますか。腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこには蠍(さそり)が噛みついているでしょう。彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです。(略)
彼女は・・・・・・印度人の苦しみのすべてを表しているんです。長い間、印度人が味わわねばならなかった病苦や死や飢えがこの像に出てます。長い間、彼等が苦しんできたすべての病気にこの女神はかかっています。コブラや蠍の毒にも耐えています。それなのに彼女は・・・・・喘ぎながら、萎びた乳房で乳を人間に与えている。これが印度です。

この文章を読んで 立山信仰の源流にある「オンバサマ」を連想した

第5回 うば堂は見ていた

 うば尊は天地の初め、左の手に五穀の種と右手に麻の種子を携えて芦峅寺に天降り、万物の母となったが寂 (じゃく)して冥府の主宰神となったと伝承される。
 安置されている尊は、いずれもみにくい形相に造られてはいるが、決して邪神であったわけではない。
 大きな乳房を垂れている姿から、母子神的な性格をもつとも、或はまた百穀万物を生む造化の母神とも考えられよう。

布橋潅頂会のゴール地点 うば堂で 女人救済の仏として祀られていたオンバサマ
明治の廃仏毀釈でうば堂は破壊され うば尊も焼却されてしまった
その源流はチャームンダーだったのかもしれない
日本人の信仰のなかにチャームンダーはいた(いる?)のかもしれない