親鸞聖人に遇う

多磨全生園で「しんらんさまはなつかしい」に出会ったときから
歌うたびに この感動はなんなのだろうと考えてきた
隔離政策によって人間であることを奪われ 故郷と家族から引き離され
苦難の療養所生活の中で 「我が父」として親鸞と出遇われた方々の信心が
この歌から伝わってくるからだと いま思う
米田富氏も 差別される者のために「首が飛ぶような念仏」を称え
「同行」として艱難辛苦のなかを共に歩み続けたのが 親鸞であると言われていた


うまい形容の仕方が見つからないが「民衆の中の親鸞」(平野修)こそが
本当の親鸞ではないかと これまで非違の歴史を繰り返してきた大谷派の僧侶として思う
その意味で 親鸞聖人は真宗大谷派という宗派の枠に
決して留まらせてはいけないし 容めようもないのであって
悩み苦しむ人々のなかで 親として 父として 友として 生きてきた聖人の生涯
そして 我が親 我が父 我が友として 伝えてきた人々の中にこそ
聖人を見出していかなければならないのは 至極あたりまえのことである
「自信教人信」とは 僧侶が門徒を救う自信をつけろという失礼な話ではない
聖人の思いは この念仏の道だからこそ 凡夫たる私は歩むことができた
ならばこそ あらゆる人々と「御同朋御同行」として
共に歩みたい それを伝えたいということ


そして 私たちの本尊は お堂の内でただ座り
「成仏」して一人涅槃を楽しんでいるだけの仏では ありえない
蓮華の座から立ち上がり この泥沼のような世界で悩み苦しむ人々に向って歩み出し
さらに その姿をすてて ただ念仏とまでなって 私たちに寄り添おうとした
南無阿弥陀仏」なのである