ブとタのあいだ

ブとタのあいだ

ブとタのあいだ

「本来無一物」という禅宗の言葉を最近知ったのだが
禅宗には こうしたハッとさせられる言葉がたくさんある
この本は 仏教用語をほとんど使わずに
「分別」「自我」に捉われてしまっている私たちの生き様を
主にエッセイをとおして 炙り出そうとしている
たとえば なにかを選択することに その都度
ああでもないこうでもないと 悩み苦しむのだが
よく考えれば どちらを選択しても その先の人生があるだけなんだと
こういうふうに 言われれば ああ そうだなと楽になったりはする


しかし さまざまな価値観念に振り回されて
自我に執着してあくせくしている自分を乗り越えようとするのは
自分の力で 自分を持ち上げようとするのと同じことで
どだい無理 だから これまた努力精進するしかないことになってしまう


その意味で 手前味噌だが
価値観念でもって人を分別することのない阿弥陀仏
あるいは他の神仏を本尊として帰依するのは
自我を超えていく方法として有効なのだろう


マンガ「結界師」に「管理者」という概念が登場したが
人は自我をうまくコントロールできないがゆえに
仮に別の人格を設置し それに任せて身の側に置くというのは
ちょっと本尊論と接点があるのではないかと思っている


話が飛んだ