玉永寺通信第27号

ryuuusei12005-09-24

ここのところ、これをシコシコ作っておりまして、本日完成、印刷、発送、さらにこうしてWEB版の作成までこぎつけました。寺報は年に2回作るのですが、ソフトがいうことをきかなかったり、プリンター紙づまりとか、想定外の事が次々と起こるのでかなりしんどい作業です。やり終えて今はごきげんです。
ご覧のように子ども会をがんばってやっております。つれあいは、地域にいろいろな活動があるのに、寺で子ども会をやる意味が分からんと、オレを虐めるのですが、それでも何とかやっとります。このごろ思うんですが、オレが子ども会を続けてるのは、幼い頃に寺で仲間たちと遊んだりした思い出があるからだと思う。だから、寺に子どもたちがこなくなるのが寂しいんだと。
自分は寺が嫌いで、逃げようとしてばかりしていたと思ってたけど、心の奥底では玉永寺が好きだったんだなと、このごろになって意識します。
玉永寺がほんとうに念仏の道場になっているか、現代の様々な課題に応えているかと問われれば、そうだとはいえないけれど、でもオレはやっぱりここが好きで、なんだか分からんけど、いろんな人が訪れるこの場所を守っていきたい。父がやっている本堂の掃除、母が毎日やっているような境内の掃除や草花の世話とか、以前は仏法となにも関係ないだろと馬鹿にしてました。しかしそれは、浄土荘厳であり、いつでも綺麗にしてご門徒の方々を迎えたいという気持ちの表れなんだと思うようになった。
こんなことを考え始めたのは、かなり歳をとったからかもしれない。