クリスマスの起源

クリスマスの起源

クリスマスの起源

エスの誕生日は特定できず、元来キリスト教徒はイエスの誕生日を祝う必要を感じていなかった。教義において、キリストの死と復活の方がはるかに大きな関心事であったからだ。
この問題が取り上げられたのは、神学的論争がきっかけだった。「神なるキリストは地上での受洗の瞬間に人間イエスの内に現れた」とする立場の人々は、洗礼が行われた1月6日を顕現祭として祝った。これに対して「神は実際に歴史的人間イエスそのものの中に現れたのであり、まさにイエス誕生の瞬間にすでに神の言葉がこの世に来たのである」と主張した人々がクリスマスを祝うようになった。
キリストの誕生を祝う祭日として12月25日を選んだのは、ローマ帝国コンスタンティヌス大帝(306〜337)。太陽を崇拝するミトラス教の主祭日が冬至に当たる12月25日に祝われていた。コンスタンティヌスは二つの宗教の「宗教的融和状態」を作り出すことが狙いであった。
著者は、クリスマスの期日設定が太陽崇拝に由来するとしても、もともとキリスト教には期日のこだわりはなかったのだから、それは異教を取り込んだことになるのだという。

「不敗の太陽神」は、その誕生日として祝われていた日付こそ忘却されはしなかったものの、その日は救い主イエス・キリストの誕生日としてのみ生き延びることができたのであるから、結局は敗北したのであり、そのことは、同時に、新約聖書においては、自然の中に示される神の啓示はすべて、キリストの愛の行為における神の啓示に従属させられていることを、私たちに思い起こさせる。

非常に現実的というか、プラグマティズムな考え方を、神学者がとっているのが興味深く、なかなかいいネ。

後半はクリスマスツリーについて。
太古以来の樹木信仰と、古来の冬至の祭儀と関連があるといわれているが、それは初期のみである。ツリーの起源を示すのは、モミの木よりも、飾りつけのリンゴとホスティア(儀式に使われるパン)である。リンゴは失楽園の誘惑の木を、ホスティアは生命のパンを象徴する。

モミの木は、キリスト教信仰の表現としての側面をより明確にされる。すなわち、人間を死へと導くリンゴに対して、生命を与えるパンー聖餐式のパン、罪の許しのために献げられたキリストの「からだ」−が対置されているのである。

パンはクッキーやクリスマスケーキに姿を変えている。

しかし、大人たちは本来、モミの木に単なる古来の習慣以上のものを見るべきなのであり、光に照らされたモミの木とその飾りを手掛かりとして、クリスマスの出来事のキリスト教的な深い意味に思いを馳せるべきなのである。

クリスマスして神社に手を合わせる日本人のことは、どう思うかな? 彼は