僕の見た「大日本帝国」―教わらなかった歴史と出会う旅

僕の見た「大日本帝国」

僕の見た「大日本帝国」

そういえば前に読んだ「浮雲」に、仏領インドシナでの日本統治の様子が描かれていた。夢のように綺麗な自然の中で、不釣合いな支配階級となった日本人のフワフワ感みたいなものが興味深かった。
この本の作者とは一回り、年齢が違うけれど、東アジアでのかつての日本の功罪や、人々がそれをどう受けているのかを、ありのままに訪ねてみたいという気持ちは私にもある。

読み進めて、最終章でパラオ島が出てきて、驚いた。というのは、わたしの祖父がそこで戦死しているからだ。自分に代わって著者が赴いてくれているような、不思議な気分になってしまった。
この本によると、パラオ島での戦闘は1944年11月末に玉砕をもってほとんど終わってしまっていたようだ。沖縄と同じようにパラオは艦砲射撃でなにもかも焼き払われたという。しかし、祖父の命日は終戦後の1945年8月23日なのだ。そんな場所で9ヶ月も、祖父はどのように過ごしていたのだろうか? ゲリラ戦があったらしいが、まだ戦っていたのか? 病床にあったんだろうか? はるか南方の島で、どのような最期を迎えたんだろう?
祖父の遺骨を届けてくださった戦友の方が、亡くなった時の様子を教えようとされたが、祖母は辛くて聞かなかったそうだ。結婚まもなく夫を戦地に送り、私の母と二人で寺を守り、遺骨を受け取った、今は亡き祖母の人生。その孫であるからして、大日本帝国の戦争は、他人事ではない。
謝罪しなければという気持ち、祖父を大事にしたい気持ち、被害者であると訴えたいという気持ち。この本を読んで、やはり、いろいろな気持ちが交差することである。