別院法要テーマ「差異(ちがい) つながり そして、いのち ー孤独の闇から響き合う世界へー」について

 今回のテーマ作成に関わって、とても印象に残ったことがあります。それは、委員の中から「いのち」という言葉を入れなければならないという、強い意見が出たことです。確かにいのちの大切さが見失われていることを意識せざるをえない時代になっています。この原稿を書いている間にも、詳細は明らかになっていませんが、幼稚園のグループ送迎をしていた保護者が園児を殺める事件が起こっています。弱者が虐げられるニュースが連日のように報道されます。国内だけではありません。パレスチナイラクリベリア、ペルー・・・ 一番弱い子どもたちが戦争の犠牲になっています。
 「昔はそんなことはなかった。何かが間違ってきている」とワイドショーのコメンテーターのように、犯罪者を断罪したくなります。あるいは世界中の悲劇に対して、耳と目を閉じ、口を噤みたくもなります。しかし、考えてみますと、千五百年以上も昔に曇鸞大師が「五濁の世、無仏の時」とおっしゃっていました。社会も価値観も人間関係も、そして人間のいのちの大切さも濁って見えなくなっているという、自覚の言葉です。これを受けて、北周の時代に廃仏毀釈を被られた道綽禅師は、「末法」という時代に対する慚愧を語られていました。私はこの末法という法語に真向かいになっていただろうかと、自問をしています。
 今、教化推進部門での取り組みを通して、別院の歴史を学んでいます。廃仏毀釈が別院創立に深く関わっているという事実を知りました。
 明治政府は天皇中心の国家をつくるために、神道を国家統合の宗教にしようとしました。その流れの中で、富山藩による合寺令が遂行され、市内の多くの真宗寺院が取り壊されました。この宗教弾圧を逆縁として建てられた説教所が別院の始まりです。廃仏毀釈のあと、大谷派教団は国家権力に擦り寄り、進んで戦争に協力していく道を選びますが、それでも、富山別院を創立された方々は、彼(女)らの末法の時代に、国家から強制された信仰ではなく、仏の教えを聞く道場をつくりたいと願ったのだと思います。
この頃、「自己責任」という冷たい言葉がよく使われるようになりました。首相の靖国参拝が継続され、「国益」という尊大な言葉もよく使われます。一人一人のいのちの尊さを見放し、国家が何事にも優先するという考え方の浸透を危惧します。私たちが生きている現代は、曇鸞大師、道綽禅師が生きられた時代より以上に、別院が創立された時代以上に、仏の教えを必要とする末法なのかもしれません。こうしたことを、テーマを通じて、深めていきたいと思っています。

参考 末法の灯明(ともしび)上・下