差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も

差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も (平凡社新書)

差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も (平凡社新書)

 私は県出身のハンセン病回復者の里帰りを支援する、「ふるさとネットーワーク富山」という市民団体に所属しています。2001年の勝訴判決の翌年から毎年、記念シンポジウムを開催し、徐々に会員数を増やし、市民の輪を広げています。ところが、近年、回復者の方々がこの取り組みに、参加して下さらなくなっているという問題を抱えています。判決以前、まだ少人数で交流していた頃には深いつながりがあったのに、なぜこういうことになってしまったのか。戸惑いと失望感がありました。そして、運動の輪が広がることに対して回復者が抱く不安に、遅まきながら、徐々に気づきはじめました。

 この本は、ハンセン病に関する正確な知識の啓蒙や2001年の判決文によって、里帰りの問題は解決して当然だという、私の認識の甘さを整理してくれたように思います。

 第1章には親族が回復者であることを知り、彼の里帰りのために理解の輪を広げようと努力する若者が登場します。しかし、回復者はそれを拒みます。第2章〜第4章は回復者たちが長い間、身と心に受けてきた深い傷がつづられます。世間になんども裏切られてきたという絶望感が伝わってきます。そして5章は、熊本での宿泊拒否事件が世間における差別心の根強さを改めて示したという現実を描きます。

 私は、この問題を解いていくキーワードとして示されている、聖書の「隣人」という言葉に感銘を受けました(浄土真宗で同じような言葉を捜せば、「同朋(どうぼう)」だと思います)。苦しむ人に寄り添い、その人を心から愛そうとする者の事です。回復者にとって、今まで誰が「隣人」であったのか? そしてあなたは不特定多数のうちの一人ではなくて、彼(彼女)らにとって「隣人」となりえるのか?という問いかけが、この本に貫かれているテーマだと受け取り、著者と同じように私も、このテーマを受けとめていきたいと、思いました。