倶会一処 患者が綴る全生園の七十年
多磨全生園患者自治会編・一光社
分厚い本だった。全生園で生きてこられた方々の苦難が、「我々は人間なのだ」という声を挙げないと生きていけなかった人々の歴史が、美化されることなく記されている。
読み終わってほっとした。しばらくして、「親鸞様は懐かしい」の歌詞が頭の中に浮かんできた。
「御同朋御同行」、われわれ門徒には親鸞聖人はいつもいっしょにいてくれる人というイメージがある。しかし、報恩会の方々にとってはあくまで聖人は、懐かしい故郷にいる人だったのだろう。
彼(女)らは療養所の中に社を建て、盆踊りを催し、報恩講を勤められた。そこにふるさとを再現しようと荒地を切り開かれたのだ。それでもそこは故郷ではなかった。だから聖人を「懐かしい人」と言われたのだろう。もしかしたら、あまりに過酷な境遇だから、そこに聖人がいるとはとても言えなかったということもあるのかもしれない。
それでもそれでも、こう言わざるをえない。柊の囲いの外で彼(女)たちの叫びに気づくことがなかった私の側ではなく、親のかわりに阿弥陀仏を親さまと呼び、泣きながらも白い道を歩み続けた、肉と血とできた生々しい「父」として親鸞を描く事のできたこの詩の作り手の側にこそ、確かに聖人はいらっしゃったのだと。