とがなくてしす―草津重監房の記録

ryuuusei12006-04-24

とがなくてしす―草津重監房の記録 (ハンセン病叢書)

とがなくてしす―草津重監房の記録 (ハンセン病叢書)

 先日、多磨全生園を訪れ、園内を探索した。あの「洗濯場跡」で一人たたずんだ。当時の面影を残すものはなく、ただ淡い色の桜が咲いていた。

 かつての療養生活は、その大半が低賃金による患者自身の作業に支えられていた。洗濯作業も当然、開院当初からあったが、1941年6月6日洗濯場主任の山井道太は、汚れた包帯やガーゼを腐らせてしまったと、院長の懲戒検束権によって草津の重監房に送られた。
 破れたゴム長靴では足の穿孔症や神経痛によくないと、新しいものを要求して拒否され2,3日洗濯作業を休んだ責任を負わされたためであった。
 獄中で山井は忽ち重体となり、42日後に出獄を許されたがまもなく死んだ。それは暗黒の療養所を象徴する事件であった。(自治会パンフレットより)


 この本には、「日本のアウシュビッツ」とも形容される重監房の残虐で非人間的な実態、隔離政策のなかで果たした、脅迫、抑圧といった役割が告発されている。そして、1947年に栗生楽泉園でおこった人権闘争で爆発した、「われわれは人間である」という叫びが描かれている。

 人間社会はいろいろな人がいて構成されている。賢者もいれば愚者もいる。身障者も健常者も、健康、不健康入り混じって響きあって発展しているのである。それらの中で、あの者はこの社会にいてほしくない、などと決めつけてはいけないのだ。ある者をそのように決めつける社会は不健全であり、不健康である。
 病気を病まない人が、あの病気に罹ったらもう生きる甲斐はないと言うとすれば、その人は強い差別感情の中にどっぷり浸かっている可愛そうな人ということになる。病んだ人がそう言うとすれば、病まずに言っている人より強い差別者である。どのような境遇の下でも人が生きているかぎり、そこには人生がある。また、その人生が過酷であればあるほど、それに負けずに生きぬく人が輝くのである。

 なんかすごい言葉だと思った。