火花―北条民雄の生涯

火花―北条民雄の生涯 (角川文庫)

火花―北条民雄の生涯 (角川文庫)

 じつに素晴らしいドキュメンタリーだった。「いのちの初夜」を生み出した北条民雄の苦闘の人生を丁寧に記すだけではなく、師であった川端康成の出版界における動向や、療養所とは一見、無関係に見える2・26事件といったファッシズムに突き進む政治状況も並列して記述し、「生命だけがびくびくと生きている」ものとして人間を捉えることの意義を、この本は訴えている。

 日本という国家が近代化という幻想のなかでひたする思想統制言論弾圧にあけくれ、日中全面戦争からついには太平洋戦争へと向かう谷間の時代に、民雄は忽然と社会から消え、作家として花開くという皮肉な運命をたどったのだが、川端康成との間でいくども手紙を行き来させながら、戦争や革命という政治的な脈絡から切り離されたところで、人間存在そのものの声を叫び続けた。その声をまえにしたとき、帝国幻想に狂奔する人間集団の姿は急に色褪せて見え、馬鹿ばかしいほど滑稽に見えてくる。抵抗の文学さえ無化させてしまう「存在の文学」だ。

 それから、北条民雄が療養所の外と内の狭間に立っていたことも、このドキュメンタリーから学んだ。彼は療養所の内で文学を興じることを、自己満足として批判した。だから、「倶会一処」における彼の作品への評価は冷たかったのだ。その一方で、彼は書くものが世間から特異な分野とみなされることに悩み続けた。彼の作品の裏には、自らの立脚地を探しながらの苦悩があったということだ。
 だからこそ、ハンセン病文学という範疇を、越えるような普遍性を持って、多くの人々を魅了し続ける力を生み出せたのだと思った。