いのちの初夜

いのちの初夜 (角川文庫)

いのちの初夜 (角川文庫)

 多磨全生園での話。収容門跡で参加者のTさんが「ここが『いのちの初夜』の舞台なんだな。」とつぶやいた。

 正門はかつて、入所する患者の入り口ではなかった。1909年の創立当初から、ここの、収容門(公称通用門)を通って入所してきた。門の内側には門衛駐在所(または通用門見張り所)があり、1913年には隣に仮浴室が設けられ、新入所者はまず入浴消毒させられた。1923年に、収容門から50メートルほど南東に浴室付の収容室が建ち、西隣には診察室があった。
 北条民雄が「いのちの初夜」で、医師が一目見て「ははあん」とうなづいただけの診察を受け、入浴のあと棒縞の着物に着替えされられて、監獄に行く罪人のような戦慄を覚えたと書いたのは、この診察室と収容室でのことである。(自治会パンフレットより)

 門らしきものは跡形もなかった。すぐ近くに監房もあったということだ。入所者への見せしめために側に建てられていたのだろうかと、みなで話した。
 帰ってから、気になったので、この本を読んでみた。「彼ら(ハンセン病患者)は人間ではありません。生命そのものです」「あなたはもう人間ではないのです。」「僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つとき、再び人間として生き返るのです。そう、復活です。」 といった言葉がでてきて驚いた。
 北条民雄川端康成に見出されたという。川端康成といえば、なぜか私は「眠れる美女」を思い出す。不可思議な生命エネルギーを称賛する文学みたいな。そのあたりに接点があるのかもしれないな。
 「倶会一処 患者が綴る全生園の七十年」に、北條民雄について一節が割かれており、以下のように述べられていた。

 北条はそのいくつかの小説の中の人物に「まずライ者になり切ることです。すべてはそれから始まるのです」というような会話を何度もさせているが、彼自身はらい者に「なり切る」どころか、そのとば口にも立っていない。彼はらい院の中の「異邦人」であり、異邦人の恐ろしく健康な精神と眼をもったままらい院のまん中で生きなければならなかった。それだからこそ、自分をとり囲むらいの世界に心の底まで揺さぶられつづけ、その生の不安と恐怖と絶望を異常な強さとリアリティをもって作品化し得たのである。

 この文章を書いた人の意図も興味深い。北条民雄の作品には、自らの境遇を受け入れる過程といった特色があり、その不安定な世界を一つの輝きとして描いていると、評価しているんだろうとは思う。だから、読みやすいのかも知れない。しかし、「なり切る」とどうなるのかしら、なんてことも考えたりする。