「ハンセン病問題が私たちに問いかけるもの」
真宗大谷派八ンセン病問題に関する懇談会
ネットワークニュース「願いから動きヘ」12・13号掲載
●講師 徳田靖之さん ●講演日 ニ○○六年三月八日 ●会場 大谷大学講堂
はじめに
五年前に確定しました熊本判決は、国に対して、その責任を認め、国の犯した過ちを断罪し、損害賠償を命じるという体裁をとって、社会全体を代表して、裁判所が被害に遭われた方たちに対して謝罪し、そして、国を相手にして数多くの障害を乗り越えて、雄雄しい闘いをされてきたことに人間として称賛している判決だと、私目身は受け止めたいと思い続けています。
そして、もし、この裁判が三十年早く起こされていたら、いや、二十年早ければ、どれほどハンセン病問題が違っていたのか。どうしてこれほど長きにわたって放置されたのか。
同じ時代を生きてきた、私たち一人ひとりの側から明らかにしませんと、単に国に勝訴し、国に責任を認めさせたことで事足れりとなってしまう。それはハンセン病問題をおそらく半分も解決したことにはならない。私自身はそんなふうに思っているのです。
八ンセン病差別の構造
現在三千人を越える方々がまだ療養所に入っておられます。
平均年齢は七十七歳を越えておられ、依然として、故郷に帰ることができない方々が数多くいらっしゃいますし、らい予防法廃止や勝訴以後、社会に出られた方々は、故郷以外の地に、親しい人に支えられて社会復帰される方が多いという状況が続いています。そのことば、法律が廃止されても今なお、ハンセン病差別の構造に大きなメスが入っていないと思うわけです。
ハンセン病差別は、国家権力が法や政策によって基本構造を作り上げるのです。
けれども、実はハンセン病と診断された方たちを療養所へ送り出していったのは、多くは隣近所の人たちや学校の教師たちです。このことを抜きにしてハンセン病差別の根深さを理解することは出来ないのではないか、と私は思います。
そのことを今さらながら教えてくれたのは、二年ほど前、熊本県黒川温泉ホテルに起こりました宿泊拒否事件です。
この問題の本質は、宿泊拒否という露骨な差別が今なお残っているということ以上に、ホテルの謝罪があまりにも形式的で謝罪になっていないことと、謝罪を拒否した後に起こった社会全体の反応にあります。三〇〇通を越える抗議、誹謗中傷の手紙、はがき、ファックスが菊池恵楓園自治会や恵楓園の原告団に寄せられました。
私は本当に衝撃を受けながら考えました。
バンセン病隔離政策の被害に遭われた方たちが、その過酷な運命を受け入れて、ひっそりと慎ましやかに、いわば同情される、気の毒だと思われる存在として留まっている限りは、理解を示し同情するけれども、ひとたび被害を受けた方々が自分の被害の回復に立ち上がる行動を示し始めると、距離を感じ、違和感を感じ、やがては、思いあがりだと怒るのです。その怒りは、まさに「善意の差別者」の本質が現れていた、と私は思うのです。
私たちの運動はここを撃たないと、ハンセン病に対する差別や偏見が一掃されることはないのではないか。多くの方々が心安らかに、故郷とのつながりを回復することはできないのではないか。私はこのように思っているわけです。
「救らい」思想にひそむ差別
この問題が放置されてしまったことを、私たち一人ひとりの側から明らかにしていくことについて、今日は医師たち、宗教者たち、そして私ども法律家の責任というところに限定して、お話をさせていただきます。
私はこの裁判の中で絶えず考えていたことがあります。
裁判の中で明らかにされた被害は、本当にとてつもない被害でした。どれ一つをとっても、私ならずとも、人間が人間に対してなしうる所業ではないと思うようなことばかりでありました。そして、それを療養所の現場で実際に実行したのは医師であり、看護師であり、療養所の職員であります。
そうすると、医師や看護師や職員たちは鬼なのか。鬼だと理解する限り、ハンセン病問題における療養所医師たちの責任の問題はほとんど鮮明されない。たまたまひどい人たちが療養所に居た、という問題にしかならないのではないでしょうか。
光田健輔らが掲げた「救らい」の思想というのは、光田健輔を例にとるのが適当でないとすれば、例えば、自分の生涯を奉げ尽そうと、「救らい」の旗を掲げて療養所に飛び込んだ看護師の方が、なにゆえに鬼のような所業の実践者になってしまったのか。ここのところを解明しておかないと、どうしてこういう問題が起こり、長く続いてしまったのかが明らかにならない。私はそう思い続けてきました。
裁判では、そこは明らかになることがありませんでした。
私が裁判の中で明らかになった事実から感じたのは、気の毒な人たちを救うという考え方の中にひそんでいる重大な差別性です。
救うという考え方は、救う側と救われる側という二つの立場が全く相互に入れ代わることがない、隔絶した立場が前提となっているわけです。長島愛生園で勤務をされた小川正子医師が書かれた手記等をお読みになれば、それがすごく純粋な形で私たちに理解されます。
一所懸命になって救おうとする意識には、救う側にいる人間がすることは当然正しいという認識がある。それが救われる側にいるとみなされている人たちに何を感じさせ、何をもたらすのかを受け取ることを強烈に阻みます。その上に万が一間違いを犯しても、そのあやまちに気づくことを決定的に遅らせてしまいます。
ハンセン病隔離政策のなかで療養所における医師、看護師、あるいは職員の方たちが犯した過ち、その根源のひとつに、私は「救う」という意識があるのではないかという感じがしているのです。そしてそれは宗教者や、私たち弁護士にも共通していると私には思えてならないわけです。
ハンセン病療養所のなかで信仰が果たした役割が大きく二つあることは、誰の目にも明らかだろうと思います。
ひとつは、信仰の力があればこそ、療養所の中で地獄のような社会を生き抜いていくことができたという事実。これは、療養所におられた圧倒的に多くの方が信仰を持っておられる事実によって明らかであります。
大谷派をはじめとして自分たちが果たした過ちを自己批判される際にも、信仰の持つそうした力に関しては正当に評価をなさった方がいいのではないかと私は思っております。
ただし、療養所において宗教者が果たした役割はもう一つの側面があったことは間違いのない事実であります。それは先ほど私が申しました「救らい思想」と、まさに符合しています。
まず、布教して信者を増やそうということ自体は教団側の論理です。なおかつ、誰もが足を踏み入れようとしなかった、とんでもない偏見を持っている時代の中で、療養所の中に入っていくこと自体は、自らの信仰心を試す場でもあったはずです。
つまり、信者を増やしたいという意味においても、自らの信仰心を検証するという意味においても、療養所における布教活動は宗教者側の自分中心的な動機というのが非常に強かったのではないかという思いがしています。
しかし、それを意識することなく、困っている人のために信仰というかたちで救いの手を差しのべたいと行われたのが療養所のなかにおける布教活動だったのではないかと、私には思えてなりません。
そこから出てくる結論は、その過酷な運命を受け入れて、いかにして安らかな生活をおくっていくのかという心構えを作っていくうえでの信仰にならざるを得なかった、と私は思うわけで、療養所の中で宗教者が果たした役割の二面性は忘れてはならないと思うのであります。
同じような問題意識で私たち法律家、特に弁護士を考えてみたいと思います。
弁護士は招かれて講演をする機会には、たいてい人権の尊さを説いているのです。
その弁護士たちが八十九年間におよぶ隔離政策のなかで、ハンセン病隔離政策を弾劾することを基本的にやれなかった。
なぜなのかが問われるわけです。機会がなかったわけではないんです。ハンセン病だと診断された人が刑事事件を起こしたとします、どこで裁判が行われたか。療養所の中に特別法廷というのを作ってそこで裁判をしてきたのです。つまり治外法権、日本の国の中でありながら日本の裁判所の建物の中で裁くことを私たちの国はしなかったわけです。
実は六十六人の弁護士たちが特別法廷に弁護人として立ち会っているわけです。
しかし、その弁護士の中から、何故、通常の裁判所の建物内で裁判が行われないのかという声を上げた人は一人もいません。人権を説くことに熱心な職能集団でありながら根本的な人権問題について目を向けられない。こんな背理がありましょうか。私はこの問題を考え抜かない限り日本の弁護士に将来はないと実は思っているのです。
人権というのは言葉で言うと実にはっきりしているように見えるのですが、実はあいまいなもの。何が人権問題なのかは、一人ひとりが研ぎ澄まされた視点で見抜く目を絶えず養っていないと人権問題は素通りするのだということです。
世界で最初に作られた人権宣言であるアメリカ独立宣言には、「人は生まれながらにして侵すべからざる権利を有し本質的に平等である」と、高らかに謳ってあるんです.しかし、その人の中には先住民であぅたネイティブアメリカンもアフリカ系の黒人たちも含まれていない。徹底的に差別しているのに、等しく権利を共有すると、しらっと言ってしまうのが法律です。
人権というのは、人権を侵害された人たちが立ち上がり闘うことによって、その中身が少しずつ少しずつ豊かになって来たのです。絶えずそのことを意識しないと、人権問題についでわかったような気でいる人間ほど人権問題がわからないのではないかと思うのです。
それから、あえて自分にむち打つという意味で申し上げているのですが、ハンセン病国賠訴訟も、当初私たちは隔離政策による被害救済の裁判という言い方をしてきました。
人権事件に対して今も多くの弁護士は被害救済ということを掲げます。
私も国賠訴訟の途中で気づかされたのですが、救済という考え方は救済する主人公がいるのです。それは弁護士であり裁判官です。だから肝心かなめの原告となった人たちはいわば、救済の対象なんです。被害救済というかたちで裁判をやろうとする限り、主人公は弁護士であり裁判官。そのような裁判に対する見方を掲げつづけている限り差別意識、人権問題に鈍感な弁護士における本質的な弱点を克服することが出来ないだろうと気づかされたんです。あくまでも被害回復の主体として原告たちが位置付けられる裁判でないと意味がないということです。
それが判決後のハンセン病問題を考えるうえで私たちが一番の出発点にしなければいけないことだと思っております。
言葉は熟しませんけれども、そういう意味で「救らい思想」を掲げた光田イズムと宗教者と私たち法律家には、まさに共通の差別意識といったものが存在し続けたのだということを私は思っているのです。
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「善意の差別者」「救うという観念に潜む差別性」「人権という言葉の性質」。。。
徳田先生の一言一言が、重い。