六〇年安保闘争の真実―あの闘争は何だったのか

  太平洋戦争に関する保阪正康氏の本は、何冊か読んできた。占領後の日本史に関する本を探していたが、やはりこの人の本は示唆に富む。読んでいると、引き込まれ、当時の熱気が伝わってくるような気がする。

 昭和三十五(1960)年の反安保デモの中軸を担ったのは学生や労働者、市民であったが、それに日頃は政治的意思など示そうとしない老人、婦人、高校生までも含まれていた。しかしその中心にあったエネルギーは、反安保であったのか、反岸首相であったのか、それとも革命への期待だったのか、あるいは単に社会的欲求不満の捌け口だったのか。今にして思えばそこには多様な価値観があったのだろうと理解できる。
 この四つの理由を当時の私は分析などしてみたことはなかったが、私自身は明らかに「反岸」であったと思う。

 「あの闘争は何だったのか」という問いに対する、作者の持論である。Å級戦争犯罪人容疑者であったこと、暴力的、威圧的な政治手法、政策の曖昧さが、戦前の政治を連想させ、岸は戦前の国家体制の象徴となった。60年安保とは、戦後民主主義を民衆は受け入れたのか、受け入れなかったかについての試金石であったということだ。
 それにしても、この本に登場する政治家たちは、安倍元首相をはじめ、現在活躍している人物たちの祖父であったり父であったりする。ネバーエンディンスストーリーみたいなもので、政治体質、日米関係といった当時惹起されたテーマが、今現在に直結している。

 現代史は、実に、おもしろい。

 そして、この本を読むことによって、10年後に連合赤軍事件が起こる道筋が、おぼろげながらに見えてきた。全学連国会突入によって経験した開放感、達成感。そして警察、機動隊から受けた激しい暴力。安保延長を阻止できなかった、なにもできなかったという失望感。そこからつながるのだと、推測する。