菩薩みな摂取せん

親鸞の仏教と宗教弾圧

親鸞の仏教と宗教弾圧

教行信証の最後の文

華厳経』(入法界品)の偈に云うがごとし。もし菩薩、種種の行を修行するを見て、善・不善の心を起こすことありとも、菩薩みな摂取せん、と。

後鳥羽上皇たちは明らかに過ちを犯した。しかし法蔵菩薩は、その彼らをも決して見捨てない。このように言えるから親鸞後鳥羽上皇らを承元の法難の責任者として名前を挙げることができたのでないか。これがなかったとしたら、やはりどこか恨みがましい感情が残っているように見えて、単に弾圧者を指弾するためにあのようなことを書いたようになってしまいます。弾圧したものも同じく等しくすくわれていくという教えが、私が法然上人から聞いた浄土真宗という仏教であると言いたかったのです。(196頁)


藤場さんのこうした解釈を初めてお聞きしたとき
法難についての文の激烈さとの落差がありすぎて 私には違和感がありました

あれだけの文章を書いた人物が
仇に対してそんなに大らかになれるものだろうかと

しかし よく考えてみれば、タイムラグがあるわけで
法難についての文章は親鸞35歳の事件まもなく書いて
その後 49歳のとき承久の乱後鳥羽院は配流
52歳 法然13回忌 教行信証草稿執筆
67歳 後鳥羽院死去 その後 法難の文に諱名を書き加える
(巻末の年表によります)

あのときの自分と事件を振り返る
教行信証とは親鸞が半生 共にしてきた書なんだと考えたりしてます