モーガン・スパーロックの30デイズ VOL.2

モーガン・スパーロックの30デイズ VOL.2 [DVD]

モーガン・スパーロックの30デイズ VOL.2 [DVD]

前半は一人のキリスト教徒がイスラム教徒たちの中で30日暮らす
イスラムの生活に従うという条件つきなのに
「知らない世界を見てみたい」という好奇心だけで よく行くもんだなと思った
案の定 異教徒のなかで孤立し 違う神に礼拝できず 煩悶するわけだが
突破口は 唱えている言葉の意味を知ること 生活習慣の意味を知ることだった
意味が分かるから信仰するのではない 知識があることは信仰とは関係ない
それはそうなんだが
自らの信仰がいかなるものであるかを他者に説明できなければ
その信仰はカルトにならざるを得ないのではないかとも思う
そして 一日に何度も行われる礼拝 厳しい禁酒
それらが争いを鎮める生活のためなのだと解釈することによって
キリスト者ムスリムに共鳴し 9.11以後の激しい非難を擁護するようになる

後半は 敵意 差別心丸出しのアングロサクソンプロテスタント白人(WASP)がゲイと同居する
こちらも宗教がらみで 聖書の解釈がかなり深く関わっている
同性愛を聖書は禁じている ゲイを背神者とする非難
これに対しては 聖書に書かれている規律(汝殺すなかれ 姦淫するなかれ)
背いていないものはいるだろうかという 自省が求められる
もう一つ ゲイになったのは「選択」である 個人的嗜好でなったんだろう
だから 社会から批判されても当然だという論法もあるような
これに対しては ゲイは生来のものであり 社会から差別される立場に好きでなったのではない
という反論がなされている
同性愛者についての論議の一端を知った

体験者と 同居するゲイとの議論のなかで
「オレはゲイは受け入れられない しかし君はかけがえのない友人である」という台詞が面白い

ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」のなかで登場人物にこのようななことを語らせている
「汝の隣人を愛せよ、とはいうが はるかに遠い想像上の人物は愛すことができても
目の前の他人は愛すことなんかできない それが人間だ」

それとは真逆な台詞なわけだ

例えばこのDVD取り上げたイスラム ゲイについて
大多数は なかなか揺るがない 深く根を張った差別観念をもつ
しかし 具体的な一人のイスラム教徒 ゲイが いかなる存在かを知ることによって
ステロタイプ 偏見から開放されることになる
違いを認める世界を発見することができる
そういう可能性を見せてくれるDVDだった