前進座公演「法然と親鸞」


全体として かなり 素直な「法然親鸞」の生涯解釈であったと思った

まず 父を殺された幼き法然が 復讐とは違う道を見つけるために出家したエピソードと
観経疏から専修念仏の教義を見出したことと それぞれが強い印象を与えるもので
その関連はどうなっているのか あまり考えたことがなかったと反省した
憎しみの連鎖を断つ道 それが念仏である ということでよいのか 考えてみたいと思った


そして 親鸞の六角堂参篭について
恵信尼への恋慕と戒律との間の葛藤のなかから夢告 つまり「女犯偈」を受けたという
非常にストレートな解釈がなされていた なるほどと思った
となると 「仏を汚す」ことに悩まされていた親鸞
仏とは 人が汚せるものではなく むしろ 清浄なる世界から降りてきて
人の悩み苦しみ鈍さ愚かさに分け入り それを背負おうとするものである
「女犯偈」というのは そのようにして生まれてきたのではないかと考えた


目の前で生身の人間が演じるということは 映画やアニメとは また違う
なにか 迫力のようなものが伝わってくる気がした 舞台もいいものだと思った
法難の場面では 涙が出てしまった


一つの教団の中にいると やはり視点が限られていくというか 狭まっていくというか
いつのまにやら いろんなフィルターをかけて なんでも難しく偏屈に考えすぎている 反省した

前進座「法然と親鸞」公演案内