いのちのバトンタッチ


読みま専科 TOMOぶっく
かなり以前に「納棺夫日記」を読んだが そこに出てくる「光体験」に違和感を持ってしまった
そして先日「おくりびと」を観て その主なテーマの一つ
職業差別については「納棺夫日記」が典拠になっているとは思った
で 東本願寺出版部から出ているこの本を読んで
映画の骨子になっている 過去との和解 亡くなった父との再会ということも
青木さんの叔父さんとの関わりについての文章と関連があるんだなと思った


この本は 春の法要の講演録なのだが 青木さんもご自身の「光体験」に問題意識を持たれていて
それを 教行信証 真仏土巻を読み込むことで 光を見たというのは 仏性を見たということとして
乗り越えようとされていることが分かった


私はこの本を読んで 改めてはっきりしたことがある
それは 釈尊 阿難 天親のように 光を見る者になる必要はないということだ
光に満ちた世界は見えなくても 見た人の言葉を「聞」いて 照らされていることを「信」じればよい
それが「聞見」 親鸞と同じ 罪悪深重の凡夫でよいのだ