法然上人のこと

前進座公演 冒頭で上人の若者時代が演じられていたことがとても印象に残った
どうしても親鸞目線で見ようとするからか 年を重ねられたイメージが強いのだと思う
そして 北陸中日新聞で連載されている五木寛之親鸞」において
入門するにあたっての上人と親鸞の問答が 興味深かった
一念・多念の議論を乗り越えている上人にして
なぜ毎日一万遍もの念仏を称えるかについて
親鸞は 「弥陀に頼りきれない 心の迷いである」と 言い放ち
上人は「我は愚痴」であると その暴言にうなづく
親鸞の六角堂での夢告を聞いて
「私も若い頃に その言葉に会えればよかった」と告白する
信心同一も この場面で展開された
んで 親鸞は先輩にぶん殴られるというオチ


「念仏の神様」ではないが 法然というと 大原問答のようなドラマチックなエピソード
虐げられた人々への温かい言葉 あらゆる階層の人々が師と慕うから
生ける釈尊のようにして 神格化されやすい人なのだと思う
しかし 釈尊にしても さまざまな悩みや苦しみを持っていたからこそ 道を求めたのであった
法然上人も 父の仇への復讐心に苛まれ
女性(式子内親王)への思慕に悩むことがあったからこそ
そこに念仏の道を見出されたのだ


上人自身が自らの言葉によって 自らを許し
その言葉が 他者を救っていたのだと思う