「鈴木裁判」を読む その1

鈴木先生 6 (アクションコミックス)

鈴木先生 6 (アクションコミックス)

担任教師の「デキ婚」を 生徒たちが陪審員となって裁く「鈴木裁判」である
まず 議論になるのは「デキ婚」は是か非かという問題である
それぞれの意見を戦わせていくうちに
問題は生徒自身の出生 存在意義に関わる事柄であることが 浮き彫りになっている
親たちがどのような経過で 自分たちを生んで育ててきたのか
「デキ婚」によって生まれてきた者 シングルマザーによって育てられきた者
是非によって 教師を裁けば 自らの親と 生まれてきた意義を裁くことになるのだ

一つの道徳基準に対する 判断のあり方について 大勢で 本気で検証しはじめれば
そのことから派生して さまざまな基準が 是非を問われることになる(鈴木)

傷つけ合いを避けるなら 恐れるなら ここで議論を終えてしまうか?
価値観の相対性を鑑みて だれも人を裁くことはできないと 思考停止するか?
「鈴木裁判」はここで 歩みを止めない
相対主義を越えて話し合おうとする力を 生徒たちが身に付けているから
次のステップへと踏み出すことが出来る

どちらが正しいかという 二者択一でもなく
これもあれもあるといった単なる横並びの羅列でもなく
出された情報を立体的に 有機的に 組み立て組み直し
世界の様相のモデルを 各々の脳の中でよりリアルなものに 近づけていけばいい(鈴木)

生徒たちの心に 鈴木先生が何度も語りかけていた「普通の人同士で不幸が起こる」という台詞が浮かぶ
他人と衝突する日常を繰り返しているばかりの 日ごろの心のままに
なにも変えずに生活しているのでは なにも変わることはない
しかし なにかを変えようとすれば「ちょこっと立派な人間」になれるということだ
その方法論がそのままに その内容でもある
是非に分かたれている価値観がある ということを
そのままに 受け止め 考察し 発言する

でもボクはうちの方が正しいとか言い争うためじゃなくて
ただ そういう考え方もあるって付け加えたかったんです!
もし松野さんやみんなの中の誰かが
ボクのうちの考え方も一理あるなって認めてくれたら それだけでいい!
ボクも 松野さんちの考え方を すごく真剣に受け入れることができる そう思いました!
そんなふうに考えたら 先生のことを激しく非難した丹沢さんの気持ちも分かるし
同時に そんなふうに非難される先生の悲しい気持ちも 分かるような気がしたんです(出水)

二者択一にも相対主義にも陥らずに価値観を論議する方法が ここに示されているように思う