鈴木先生 5

鈴木先生 5 (アクションコミックス)

鈴木先生 5 (アクションコミックス)

第5巻については 以前にレビューを書いたが
実はこの巻にあるエピソード「掃除当番」が気になっている

世間でも 現場でも いまや 落ちこぼれや問題児がいかに傷ついているか
そのことに意識を割くことに傾いている
まだ足りない まだ足りないと それはそれで事実だが
だけど いまの学校教育は 我々が普段思っている以上に
手のかからない子供の 心の摩耗の上に支えられているんだ(鈴木)

「手のかからない子供の 心の摩耗」…
手のかからない子であるという周りからの眼差しが
その子に 想像以上に 重いものを背負わす事になっていることだろうか
確かに 不登校やうつに悩む人は そういう評価をされていた時期を経ていることが多いようだ


そして その苦しみを抱えていた生徒 故丸山康子の
仕草 たたずまいが実に美しかったという 「無心」だったということだ
なにも感じず なにも迷うことなく 無心に生活がおくれたらどんなにいいだろう
ただし 丸山の心のうちは「諦念」 自らの境遇に対する諦めの境地であったようだ


例えば 合掌という作法にしても 私には無心にできるものではない
どこかに力が入っている どこかに緊張がある どこかにぎこちなさがある 人の目を気にしている
無心って本当に難しい あれだけ技術の高い浅田真央もそれに苦しんでいるし
イチローだってWBCの時には無心になれず おかしくなっていた 
その意味で 常に煩悩に苛まれているという人間観に立つ真宗門徒でよかったと思う


それでも 無心への憧れはある