暴力

私が落第哲学徒であったのは1980年代前半。中曽根長期政権が1982年から1987年。大学のゲームセンター化がはじまって、そのまま何もかもがバブルまみれになっていった。
そのころは「解体」とか「戯れ」とか「逃走」といった言葉が飛び交っていた。浅田彰逃走論―スキゾ・キッズの冒険 (ちくま文庫)」なんて本が出たのが1987年。オレは哲学とは論理であり分析であり、人生論ではないと思っていた。構造主義とかポスト構造主義とかポストモダンとかが流行ってた。なにもかもが構造であって、解体できる。それだけのことだ。だから政治とか人生を熱く語るのは偏執者がやることであり、あらゆる権威から逃走して、何事にも捉われず自由に適当にやってくことがオシャレなのだと思ってた。
デリダも近代的自我を批判するポストモダンの一人として位置づけられている。「名づける」という、近代的知性が始まる行為を「暴力」と形容しているからだろう。

名づけることの暴力は「つねにすでにエクリチュールである言語の根源的暴力」であるから、もし人間が言語をもつ動物であるとしたら、どんな人間もこの暴力から自由であることはできない。言語をもつどんな社会も、つまりはすべての社会がこの暴力を提供している。それは社会というものの、共同体というものの暴力であり、いっさいの暴力を免れた無垢で平和な共同体などどこにも存在しないのである。(デリダ (「現代思想の冒険者たち」Select) p127)

「名づけることが暴力である」という言葉の具体的な内容は、私にはよく分からない。単なる近代知否定じゃないだろうなぁ。高橋はこのあたりを、法学に対する脱構築の考え方を並べて「法の暴力」という概念も使って説明してくれているのだが、もう一つ、伝わってこない。
とにかく(汗)、デリダは世界がすべて暴力であろうとも、絶望したり逃走したりしないということを、高橋哲哉は強調する。

哲学的言説を組織しながらそのことの暴力性に無知でいることは、デリダによれば無責任なのである。だが、そうすると、なぜデリダはそのような責任を問うのか、という問題が生じる。なぜ、自分の言説の暴力性に無知であってはならないのか? デリダの答えは、おそらく、ここでは暴力と戦うことが問題となっているからだ、というものではないだろうか。みずからの暴力性に無自覚であってはならないのは、暴力と戦うこと、暴力に抵抗することこそ問題であるからだ。(同上 p134)

ウム、よく分からんがそのとおりや、とにかく逃げちゃだめだと、髪の薄くなった元スキゾキッズは思ったのであった・・・