機動戦士ガンダムUC 2
- 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
- 発売日: 2010/11/12
- メディア: DVD
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ファースト放映が学生の頃だから、それから人生の半分以上、ガンダムと歩みを進めてきたのだから、そう言わざるを得ないだろう。
現在も、HDD予約にしても、BSで「SEED」と「OO」を入れている。
これはその最新作ということになるが、すでに小説を読んでしまっているので、目新しいということはない。
この巻で大事だと思うのは、教会でのマリーダとバナージの会話だと思う。
過酷な現実で生きていくために、それが矛盾に満ちたものであっても、人はなにか(ネオジオン)を支えにせざるをえないということがある。
それを、汚辱にまみれることのない場所から、安易に批判できるものではない。
マリーダは強化人間であり、他者に依存するプログラムをされているという設定になっているから、この主張はそんなバイアスがかけられたと上での主張だ。
それに対してバナージは「心の中の可能性」について話す。
神に匹敵するようなものが必要ならば、希望とか願いとか、人間がその奥底に持っていると信じたい何か、それを神とすればよいというわけだ。
「可能性の獣」というこの作品のテーマに則って、技術や財力によって人の革新が起こるのではなく、希望というような形のないものをそれに当てよと主張しているわけだ。
これは、最後に明らかになる「ラプラスの箱」の正体にも関わる話だ。
内でも外でもよいと思う。外にある阿弥陀仏でもよいし、内なる阿頼耶識でもよい。というか、内でも外でもなかったりする。
なにかを信じて人は生きている。それがどのような働き、生き方を人にもたらしてくれるか。
そういう問題に関わっている会話のように思う。
宣教師ニコライとその時代
- 作者: 中村健之介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/04/15
- メディア: 新書
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当時、アジアには様々な国からの進出に伴い、多くの宣教師たちがやってきた。おそらくロシアにも思惑があったと思う。
ニコライは生涯、教会の基盤作りのための資金調達に苦しんだ。
それでも、莫大な懇志を集めたのは、本当に信仰を広めようという情熱だけだったのか、というのは不純な見方かな?
この本の著者はロシア文学者であり、ドストエフスキーやトルストイとニコライとの接点についても章を割いている。
その対比からくるのであろう、ニコライの信仰は「わかりやすい」とされる。
ニコライの信仰の核心は大変わかりやすい。日記にはキリスト再臨待望はほとんど現れない。待たれているのは安らかな「死後の生」である。キリストの父である創造主なる神がおられ、人は死ぬと、キリスト教徒で「痛悔(懺悔)」した人のたましいは、神のもとへ行き、そこで永生をたのしむことができる。そうでなければ、そのひとのたましいは、死後、冷たい「永遠の闇」へ落ちていく。ニコライはこのわかりやすいキリストの信仰を生きている。
文学者たちのように、神、天国の実在を疑い、分析し、現代的な解釈を与えるのではない。あるいは革命的に「その日」がやってくるというのでもない。ある意味ロシア的な純朴、純粋な信仰の持ち主、それがニコライということだ。それは浄土真宗における実体的死後往生と深く共通しているようにも思われる。
彼の信仰は、明治の荒波の中で浄土真宗が、理論武装としての近代教学を組み立てていったのとは逆の方向にあるとも言えよう。彼の尽力によって、どれだけロシア正教が日本に定着したかはよく知らないが、真宗の知識僧たちが見下し、見失ってきた場所をニコライは巡礼し、教田を見出していたとも言えるのではないか。
いまの世には学文して、ひとのそしりをやめ、ひとえに論義問答むねとせんとかまえられそうろうにや。学問せば、いよいよ如来の御本意をしり、悲願の広大のむねをも存知して、いやしからん身にて往生はいかが、なんどとあやぶまんひとにも、本願には善悪浄穢なきおもむきをも、とききかせられそうらわばこそ、学生のかいにてもそうらわめ。たまたま、なにごころもなく、本願に相応して念仏するひとをも、学文してこそなんどといいおどさるること、法の魔障なり。仏の怨敵なり。自ら他力の信心かくるのみならず、あやまって、他をまよわさんとす。つつしんでおそるべし、先師の御こころにそむくことを。かねてあわれむべし、弥陀の本願にあらざることをと云々
なんのための、だれのための仏教なのか、教学なのか。法然、親鸞自身が見出された「大衆」を、近代、現代の教学者は「いいおどして」きたのではないか。反省が求められる。
日本人の坐り方
- 作者: 矢田部英正
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2011/02/17
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現代の日本人は畳文化を嫌い、座ることを毛嫌いしている。
寺院でも本堂に椅子を用意し、もう座ることは悪だとまでされているような状況だ。
しかし、実は、長い歴史において多種多様でスタイリッシュな「坐り文化」を我々は形成してきたのであり、
これが正座へと画一化されたのは、やはり、あの、戦争時であったのだと解析されている。
この本を読んで、今まで闇雲にただ座ってきた自分が愚かであって、
初めて大局的に、坐ることの大切さ、貴重さを教えられた。
今も正座に苦しめられている人がいれば、この本を薦めたい。
もっと、自由に、もっと素敵に、坐れるんだと。
すいません、ちょっと酔ってます。
風しもの村 チェルノブイリ・スケッチ―貝原浩画文集
- 作者: 貝原浩
- 出版社/メーカー: パロル舎
- 発売日: 2010/07/05
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この画集で描かれている「サマショーロ」と呼ばれている人々、チェルノブイリの立ち入り禁止圏内で生活を続けている人々を連想する。
「故郷」とはなんだろう、自問自答する。
「ありとあらゆる知恵と金をもって、いまの状態から抜け出ねば、私達の享受する一切の文明生活なんぞ、一体何になろうか。次代がまだあると考えるなら、原発の起こした惨事が、決して他人事ではく、まさしく、日常に隣り合わせにひそむ私達共通の悲劇です。」
1992年5月、「石棺」のスケッチの隣に貝原さんが書いた文章。
チェルノブイリに思い至らなかった今、それは福島第一原発事故についての私たちに対するメッセージとなっているように思われる。
もう、繰り返し読むしかない。